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私の京都(4) 御土居

三洋化成ニュース No.538

私の京都(4) 御土居

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2023.06.05

永田 和宏

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豊臣秀吉の築いた史跡「御土居」

私の生まれは滋賀県、それも西江州にしごうしゅうと呼ばれる地域、現在の高島市だが、4歳の時に京都に移り住むことになった。以後、6年間の東京と2年間のアメリカへの留学以外は、ほぼ京都暮らしが続くことになる。正確には数年、妻の実家があった滋賀の石部町(現在の湖南市)に住んではいたが、その間も職場の京都大学に毎日通っており、私の一生の時間のほぼ全てを京都で過ごしてきたことになる。

初めに住んだのは、上賀茂神社の近くのちくと呼ばれる地域であり、小学校は紫竹小学校。本当は加茂川中学校に通うはずだったのだが、中学に入る直前に右京区のむろに引っ越したので、双ヶ丘中学校、嵯峨野高等学校が私の母校である。

小学校時代は、学校が終わるとほとんど毎日友達と遊んでいたが、上賀茂神社や賀茂川など遊び場所には困らなかった。上賀茂神社ではよく映画のロケが行われており、アラカンこと嵐寛寿郎の鞍馬天狗のロケに出くわした時のことはよく覚えている。あるいは上賀茂神社の裏山全部を陣地にしたかくれんぼなど思い出は多いが、それらは近著『あの胸が岬のように遠かった』に書いたので繰り返さない。

紫竹近くにある上賀茂神社

加茂川中学校の横にはがあり、これも私たちの格好の遊び場所であった。

御土居は豊臣秀吉が京都を整備した時、外敵の来襲に備えて築いた防塁(土塁)である。京都をぐるりと囲んで、総延長は約23キロメートルもあったという。これによって洛中と洛外が分けられたのであり、鴨川の東、京都大学などは洛外ということになる。

私は全てを巡り歩いたわけではないが、少なくとも十数カ所にはその跡が残っているはずである。「鷹峯旧土居町」、「紫野西土居町」など、「土居」という名の付いた町名も多く残っている。

私たちが遊び場所にしていたのはまさに御土居の最北端、それも東西と南北の土塁の角に当たる位置にあった。今は長さが10メートルほど、高さは3メートルほどの小さなものしか残っておらず、周りを住宅に取り囲まれてなんとも貧相な史跡という感を拭えないが、私たちの少年時代はもっと長く、もっと高く、周りに住宅などはほとんどなく、御土居の存在感は圧倒的だった。

何より現在は四方を金網で囲まれちんまりとした史跡として厳重に保護されているが、昔は囲いも何もなく、誰でも自由に登ることができた。御土居を中心にして、私たちのチャンバラごっこや鬼ごっこなどの遊びがあったのかもしれない。

なかでも私たちが情熱を燃やしていたのは、御土居の上から竹そりで滑り降りる遊びであった。そりといっても雪の上を滑るのではなく、季節に関係なく御土居の斜面の土の上をそのまま滑るのである。

当時の大宮通かいわいには製材所が多くあった。そんな所へ行って不要な木片や角材をもらってきて、四角く組んで尻を乗せる台を作る。青竹を二つに割り、火であぶって先を曲げ、台の下に釘で打ち付ける。身体を支えるためのひもを取り付ければ、とりあえずこれで一人乗りのそりの完成である。

それぞれ自分のそりを手作りし、持ち寄って御土居の上から滑り降りる。土塁であった御土居には木は生えておらず、草の生えている場所もあったが、ほとんどが土の露出した斜面であったのは、私たちがそりで滑っていたからだろうか。

もちろん雪の上を滑るような快適さからは程遠く、凸凹の土の斜面を滑るので、ほとんど暴れ馬に乗っているロデオのような様相である。途中で投げ出されるかそりが分解するかで、下まで無事に滑り降りるなどということはまずなかったような気がする。途中で放り出される仲間を大声ではやし、笑い合うのが楽しいのだった。

1、2度滑ったら、そりはだいたい使い物にならなくなったし、それ以上にそりから放り出されてそのまま尻で滑ることも多く、ズボンが破れては母親に叱られたものだ。

なんともわいのない思い出だが、京都の歴史的な遺跡を自分たちのそり、そして尻でいくぶんかは削り取ったんだぜという記憶は、そんな場所に近付くこともできない今の子どもたちに、少しだけ自慢してみたい気もするのである。

 

永田 和宏〈ながた かずひろ〉

1947年滋賀県生まれ。歌人・細胞生物学者。京都大学理学部物理学科卒業。京大再生医科学研究所教授などを経て、2020年よりJT生命誌研究館館長。日本細胞生物学会元会長、京大名誉教授、京都産業大名誉教授。歌人として宮中歌会始詠進歌選者、朝日歌壇選者を務める。「塔」短歌会前主宰。読売文学賞、迢空賞など受賞多数。2009年、紫綬褒章受章。歌人・河野裕子と1972年に結婚し、2010年に亡くなるまで38年間連れ添った。著書に『知の体力』『置行堀』『歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子 闘病の十年』など多数。

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