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職人目線の京都行脚 漆喰編Ⅰ

三洋化成ニュース No.521

職人目線の京都行脚 漆喰編Ⅰ

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2020.07.21

森田一弥

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鎌倉時代初期に建てられた法界寺阿弥陀堂

漆喰(しっくい)は京都のお寺などの壁を彩る白くて清潔感のある壁だが、それが何でできているか知っている人は少ないと思う。漆喰の主な材料は石灰(せっかい)だが、別の呼び名を石灰(いしばい)といって、その名の通り石灰岩を焼いて作ったものである。石灰岩を焼くと、生石灰(きせっかい)と呼ばれる物質に変わり(酸化カルシウム。お菓子の乾燥剤などに使われる)、それに水をかけると粉状に変化して、消石灰(しょうせっかい)と呼ばれる白い粉(水酸化カルシウム。運動場の白線を引くのに使われていた)になるのだ。

 

水で練った消石灰は、二酸化炭素と結合して固まる性質がある。これは、粉になった石灰岩が再び「石」になるプロセスともいえるものだが、日本の漆喰はその性質を利用して、(もろ)くて弱い土壁の表面を薄くても耐久性のある「石」のような素材で被覆する技術である。

 

人類は昔から、身の回りにあった石灰岩を焼くと強い壁を作ることができると気が付いていて、5千年前のエジプトのピラミッド建設にも漆喰は使われていた。その後、消石灰を火山灰と混ぜるとさらに強力な壁ができることに気が付いたのが古代ローマ人であり、その技術(ローマンコンクリート)を使って数々の劇場や水道橋が作られ、ローマ帝国の繁栄を支えたのもよく知られた事実である。現代の石灰工場では、石灰岩を焼くには強力な火力が得られる石炭が使われるが、石炭が使えなかった江戸時代以前は、燃料として松などの薪を使い、石灰岩ではなく貝殻を焼いて漆喰に使う石灰を作ることもあった。沖縄では貝の代わりに珊瑚(さんご)が使われていたが、どちらも石灰質の原料で、それでできた石灰をそれぞれ貝灰(かいばい)珊瑚灰(さんごばい)と呼んでいた。大量の燃料を使うものだから、石灰はとても貴重な材料であった。だから京都でも漆喰が塗られているのは、神社仏閣や土蔵などの特別な建築ばかりで、町家に漆喰が塗られていることは実は(まれ)なのである。

 

 

堂内の漆喰の壁には、仏教壁画が当時のまま現存している

 

 

京都に残る最も古い漆喰壁の一つは、伏見区日野の法界寺阿弥陀堂(鎌倉時代初期)にある。ここの漆喰壁には極彩色の仏教壁画がオリジナルのまま現存しており、それを直接見ることができるという点でも大変貴重なものである。エジプトのファラオの墓や、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」もまた、漆喰の白い下地の上に描かれているように、白い漆喰の壁は、はるか昔の人々が後世に伝えたいと願うイメージを描くためのキャンバスであった。法界寺に描かれた天女の像は遠く中国の敦煌の石窟寺院に描かれたものとよく似ており、仏教とともに日本に伝わったといわれている。そして壁画と同じく、漆喰の技術自体も中国から日本に伝わったものだと考えられている。例えば、石灰の中国語読みは「シーフイ」であって、日本ではそれが(なま)って「しっくい」と呼ばれるようになったというのが定説である(ちなみに、漆喰という日本の漢字表記は、「しっくい」の当て字である)。

 

 

阿弥陀如来像の頭上には、流れるような筆致で描かれた天女が舞い、極楽浄土のイメージを現代に伝えている。目を凝らすと、800年前に薄暗い堂内で息をひそめて麗しい天女を描いていた、職人の息遣いが聴こえてくるようだ。

 

漆喰の壁に描かれた極彩色の天女像

 

〈もりたかずや〉
1971年愛知県生まれ。森田一弥建築設計事務所主宰。1997年、京都大学工学部建築学科修士課程修了。京都「しっくい浅原」にて左官職人として修業後、2000年、森田一弥建築工房設立。2007~2008年、バルセロナのEMBT建築事務所に在籍。2011~2012年、文化庁新進芸術家海外研修員としてバルセロナに滞在。2020年~京都府立大学准教授。共著に『京都土壁案内』など。

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