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職人目線の京都行脚 漆喰編Ⅱ

三洋化成ニュース No.522

職人目線の京都行脚 漆喰編Ⅱ

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2020.10.13

森田一弥

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下御霊神社の土蔵(神輿庫)

 

表面が平滑な白い壁が現代の一般的な漆喰(しっくい)だが、原始的な漆喰工法の末裔ともいうべき技術がある。「ぱらり」と呼ばれる漆喰仕上げである。「ぱらり」は今日の京都では、桂離宮や京都御所などでしか見られない高級な漆喰仕上げであり、漆喰に石灰の粒を混入することで凹凸のあるテクスチャーをつくる独特な技法である。実は、それは現代の均質な石灰が製造可能になる以前の、粒が残った原始的な石灰を使っていた頃の漆喰工法の名残であり、塗りっぱなしのままの表面には石灰の粒の痕跡がポツポツと浮かんで見え、素朴で風合いのある漆喰仕上げである。

 

修学院離宮の漆喰仕上げ
「ぱらり」(客殿・外壁)

 

原始的な工法といえばもう一つ、町家や寺院の土間に使われるタタキ(三和土)がある。三つの土を和えた、と書くように、タタキの材料は「石灰」と「真砂土」と「にがり」である。にがりの成分は海水から抽出した塩化マグネシウムであり土間の乾燥を防ぐ効果がある。

タタキは石灰を使う左官工法だから漆喰の技術の一種ではあるが、硬化のメカニズムは漆喰とは少し異なる。二酸化炭素ではなく真砂土に含まれる珪素質と石灰が反応して硬化するため、耐久性に優れており、京都では深草で採取される「深草砂利」がタタキに適した材料として使われてきた。

日本の伝統的なタタキ工法は、セメントの技術が西洋から導入されて失われてしまったが、タタキで仕上げられた土間の表面は、耐久性はあるもののコンクリートに比べると柔らかく、風雨や人の往来で少しずつ削られて、中に含まれる砂利や土の色が現れてくるなど、独特の味わいがある。京都では修学院離宮の「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれる、色違いの石を配置したタタキが有名である。

 

修学院離宮のタタキ「一二三石」(写真提供:宮内庁京都事務所)

 

漆喰編Ⅰで紹介した、法界寺以降の日本の建築では、漆喰の壁に絵が描かれることはなくなり、無垢で純粋な白い面としての漆喰が強調されるようになった。その一方で、漆喰を使った装飾技術は「漆喰彫刻」と呼ばれる分野において生き残っている。それは漆喰の上に顔料で絵を描くのではなく、漆喰そのもので具象的な造形物を創り出す技術である。特にそれがよく見られるのが土蔵、そのなかでも特に土蔵の出入り口の扉部分である。

京都御所の南東にある下御霊神社の土蔵(神輿庫)には、京都では珍しい見事な漆喰彫刻がある。二枚の扉には菊の御紋と、社紋の「沢瀉(おもだか)に水」が漆喰で造形され、屋根の上には二羽の鶴が舞っている。扉の上には豊かな水流と渦巻きの表現もあるが、建物の火災からの安全を願う水の表現であろう。抽象化されたモチーフが多い日本の建築装飾には珍しく、あくまで写実的で具象的な彫刻である。
土蔵の扉は火災時に内部の宝物を護る防火戸のようなもので、木製の建具の外側に設けられることから「戸前(とまえ)」と呼ばれる。土蔵のなかでも最も熟練した技術が必要であったため、この部分だけを手がける専門の職人がいたほどで、彼らは一般の左官職人のなかでも「戸前職人」と呼ばれ、各地を渡り歩いて特別な扱いを受けたそうである。

とはいえ、あからさまな富の表現を避ける傾向があった京都のど真ん中に、突如現れるこの漆喰彫刻の由来は何なのか? ひょっとすると、この仕事は京都の職人のものではなく、旅の途中の戸前職人が気まぐれに立ち寄って技を披露した、その置き土産なのかもしれない。修復の手が行き届かず、痛みも激しいこの漆喰彫刻が、なんとか未来に受け継がれていくことを願いたい。

 

〈もりたかずや〉
1971年愛知県生まれ。森田一弥建築設計事務所主宰。1997年、京都大学工学部建築学科修士課程修了。京都「しっくい浅原」にて左官職人として修業後、2000年、森田一弥建築工房設立。2007~2008年、バルセロナのEMBT建築事務所に在籍。2011~2012年、文化庁新進芸術家海外研修員としてバルセロナに滞在。2020年~京都府立大学准教授。共著に『京都土壁案内』など。

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