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京都の坂 狐坂

三洋化成ニュース No.526号

京都の坂 狐坂

2021.06.01

中西 宏次

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狐坂の京都側出入り口(松ヶ崎)に鎮座する岩上神社。坂を越える人たちはまずここで手を合わせ参拝した

 

京都は盆地の中にできた街なので、南側を除いて市街地の周縁は坂になっています。東山、北山、西山の山麓線とクロスする道は、そこが坂道になります。長崎や尾道、函館などは「坂の街」として知られていて、坂に沿っても街が続いています。それに対して、京都の街は周辺の山から見ると湖のように盆地の底に沈んでいて、斜面に街が這い上がっている部分があまりありません。ということは、盆地周縁部の坂は、市街地側からいえば内部と外部の「境界」としての時を刻んできたといえます。

 

柳田國男は「傾斜道路をサカと云ふのもそのはじめは境の義の転じたものである」(『えのきの杖』)と記しています。つまり「さか」はサカイであり、その両側を隔て、かつ結ぶ「境界」なのです。

 

京都周辺の坂の中で、そこが境界であることを最もコンパクトに表象しているのは、松ヶ崎の北にある狐坂ではないかと私は思います。松ヶ崎には8月16日夜「妙法」の送り火が点される山(西山、東山)がありますが、その西山の脇を越え、宝ヶ池の西南に出る坂が狐坂です。宝ヶ池の西側を経由する道をたどれば、その先はもう岩倉です。

 

岩倉は京都盆地の北に付随する小盆地で、宝ヶ池トンネルに潜る自動車道や叡電など近代的交通手段ができるまでは、狐坂・ひのき峠などの坂を越さないと京都と行き来できませんでした。岩倉が京都の住宅地として急速に発展するのは、1966年宝ヶ池畔に国立京都国際会館が開館して以後のことです(地下鉄国際会館駅開業は1997年)。かつては、岩倉は京都とは別の時間が流れる農村であり、狐坂を越すことは異界への出入りだったのです。

 

地下鉄松ヶ崎駅を起点にして、狐坂を上がってみましょう。狐坂、宝ヶ池の脇の遊歩道を経て国立京都国際会館の横を抜けると、国際会館駅まで歩くことができます。宝ヶ池の周囲の山々は四季折々の表情を見せてくれます。5月頃は新緑が輝いています。地図のA地点が京都側出入り口(松ヶ崎)です。今はバリカーが設置され車が進入できないようにしてありますが、2006年に狐坂高架道が開通するまでは車道でもあり、ヘアピンカーブが二つ(C、D地点)続く車の難所でした。坂にかかる右側に岩上神社が鎮座しています。このお社の御神体は巨石、つまりいわくらです。この巨石に宿る神は、やはり境界の守護神なのでしょう。神社の鳥居前から少し坂を上がると、右側の路傍に「桜井」があります。井戸というより湧き水であり、今もかれることなく水が湧いています。ここは歌枕としても有名でした。磐座といい井水といい、境界特有の「記号」だと思います。

 

 

岩上神社の御神体である巨石(磐座)

 

狐坂旧道のヘアピンカーブ。かつては車道でもあり車の難所だったが、今は歩行者・自転車専用道になっている

旧道はカラー舗装され、歩行者と自転車の専用道路になっています。では狐坂は境界としての意味を失ってしまったのでしょうか? そうではないと私は思います。

 

地図のB地点辺りから前方を見てみましょう。視線の先には送り火「妙法」の「妙」字の火床があります。そして、坂が反転するカーブと、火床との間は松ヶ崎の墓地になっています。お盆に戻った先祖霊を送り火で送る松ヶ崎の人たちにとって、狐坂は今も「この世とあの世」の境界であり続けているのではないかと思うのです。

 

 

〈なかにし ひろつぐ〉
1946年京都西陣に生まれ、育つ。1971~2007年大阪府立高校教員。2009~2020年京都精華大学人文学部教員。『学校のモノ語り』(東方出版)など学校文化に関する共著書多数。一方、自分と京都との関わりを巡って考察。著書に『聚楽第・梅雨の井物語』(阿吽社)、『戦争のなかの京都』(岩波書店)、『京都の坂』(明石書店)がある。現在、京都民衆史研究所代表。

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