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食の京都(1)京料理の華、「八寸」

三洋化成ニュース No.541

食の京都(1)京料理の華、「八寸」

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2023.11.14

佐藤 洋一郎

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何種類かの料理を彩り良く並べた「八寸」(筆者撮影)

 

京料理屋を訪ねてみよう。玄関で履き物を脱ぐ。ちょっとした緊張を味わう心おどる瞬間だ。仲居さんが座敷に案内してくれる。飲み物の注文などを済ませてしばらくすると、いよいよ料理が来る。まずは先付。これは酒のさかな。次いで吸い物。料理人の腕前が発揮される一品だ。店の神髄がここに表れるともいえる。料理の順番は店によって少しずつ違うけれど、「八寸」が出ることもある。この「八寸」こそが、京料理の華だと私は思っている。

8寸(約24センチメートル)角の折敷おしきに、何種類かの料理を彩り良く並べたものが語源だそうである。旬の一品を使い、五色をまんべんなく配し、そして猪口ちょこなどを使って立体的に山海の料理をあしらう。生け花と相通じるところがあるのではなかろうか。皿というキャンバスに描かれたアート、だろうか。

その後も、向付むこうづけ、焼き物、煮物などが出てくる。コース料理の楽しみの一つは器にある。素材は木、陶器、金属器、ガラス器などいろいろ。色、形、重さ、そして質感もいろいろだ。どの器を使えば、それぞれの料理に合うかは、まさに料理人のセンスによる。料理人のアートといってよい。料理人たちは、料理の修業の傍らお茶を習い、華道を修め、習字の教室に通う。彼らはこうして美的センスを磨いているのである。

料理は芸術ではあるが、完成した次の瞬間には誰かの口に入り姿を消してしまう。運慶やミケランジェロの作品が何百年もの間、形を変えることなく人々の心を捉え続けているのとは全く違っている。今日の一品と昨日の一品とは、似て非なるもの。それでも料理人たちは、今日のものが昨日のものと同じものになるように、とことんこだわるのである。料理が「無形文化遺産」といわれるゆえんである。

一品が終わって次の料理が出てくるまでの間が、また大切である。短すぎると、前の料理の余韻を感じるいとまがない。かといって長すぎるとが持たない。仲居さんと料理長のあうんの呼吸で、程良い間隔で次の料理が出てくる。このように考えると、料理長は何人もの料理人や仲居さんを指示しながら、何種類もの料理を作り、それに合わせる器を吟味し、そして出すタイミングを計っている。オーケストラに例えれば、指揮者の役割を担っているのだ。

 

 

京料理といえば、数々の野菜、いわゆる京野菜を使いこなす料理である。京都は盆地に立地しているために、海の魚とは縁遠かった。また禅寺が多く、早くから精進料理が発達していた。こうしたことから、京都には野菜中心の優れた料理が発達した。その伝統は今にも通じ、料理屋には、わがままが言える野菜農家が付いている。野菜農家にもいろいろいて、タケノコだけに特化した農家もあれば、100を超える野菜を少量ずつ作る農家もある。「来週月曜、大きめの聖護院カブを持って来て」、そう注文が入れば、週末のうちに適度の肥料をやり、味をのせる。対面型の付き合いでなければ達成できない上質の付き合いが、このように続けられてきたのもまた、京料理の特質の一つといえるだろう。京料理は一種の総合芸術であり、料理人はその総合プロデューサーなのである。

料理屋と深い付き合いのある野菜農家が京料理を支えている

 

佐藤 洋一郎〈さとう よういちろう〉

1952年、和歌山県生まれ。1979年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了。国立遺伝学研究所研究員、静岡大学農学部助教授、総合地球環境学研究所副所長、大学共同利用機関法人人間文化研究機構理事などを経て、京都府立大学文学部和食文化学科特別専任教授、京都和食文化研究センター副センター長、ふじのくに地球環境史ミュージアム館長。農学博士。著書に『京都の食文化』『知っておきたい和食の文化』『食べるとはどういうことか』『米の日本史』など。

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