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三洋化成ニュース No.544
2024.07.11
1955年大阪府出身。1980年3月大阪大学医学部卒業、同大医学部第一外科入局。1989年フンボルト財団奨学生として、ドイツのMax-Planck研究所心臓生理学部門、心臓外科部門に留学。2006年、大阪大学大学院医学系研究科心臓血管・呼吸器外科教授。2016年日本医師会医学賞、2019年第1回日本オープンイノベーション大賞日本学術会議会長賞受賞。2020年紫綬褒章受章。現在、大阪大学特任教授、大阪警察病院院長。専門領域は、心不全・弁膜症・再生医療・心臓移植など。
日本において、がんに次いで死亡率が高いといわれる心疾患。心臓は全身に血液を送り出しており、生命活動にとって最も重要な臓器です。心臓の疾患について、iPS細胞(人工多能性幹細胞)由来の心筋細胞シートを使った、画期的な再生治療の開発・普及に取り組むのが澤芳樹さんです。シンプルで低侵襲な治療が可能になる心筋細胞シートはどのようにして生まれたのでしょうか。命を救う医学の進歩に対する思いも伺いました。
-- 長年、心筋再生医療の手術や研究開発に携わってこられたそうですが、iPS細胞由来の心筋細胞シート(以下、心筋シート)とはどのようなものですか。
心筋シートは京都大学iPS細胞研究所から提供されたiPS細胞を心筋細胞に変化させて、直径約3.5センチメートルのシート状に加工したものです。
手術では心臓に心筋シートを3枚貼るんですが、この3枚の中に細胞が1億個入っています。そもそも人間の体は約60兆個の細胞でできていて、心臓の細胞はそのうち約1000億個。そんなにたくさんの細胞を人間がつくって移植するというのはとうてい無理なんです。そこで、移植した心筋細胞が因子を出し、血管を新しくつくることによって心臓機能が回復するサイトカイン療法が有効だと考え、これを応用しました。iPS細胞から心筋細胞をつくるだけでなく、がんや腫瘍にならないようにする技術も確立し、心臓の機能を回復させる世界初の技術です。心不全の中でも、心筋梗塞が度重なって心機能が半分以下に低下した、虚血性心筋症などに特に有効なんですよ。
-- 心筋シートの移植手術を受けた方には、どのような効果があったのでしょうか。
2020年に大阪大学で行われた治験を皮切りに、重い心不全の患者さんなど8人の治験が終了しました。手術前は日常生活を送ることが精いっぱいで、外を出歩けず、仕事を休んで家で安静にしていなければならないというような方がほとんどでした。しかし術後は皆さん症状が改善して、社会復帰し、仕事を再開された方もいますよ。患者さんが術後1週間くらいで「元気になりました」と言ってくれたことがあって、うれしかったですね。患者さんの5年生存率は70%前後から90%まで上がりました。生命が維持できるかどうかという生命予後を変えることができるんです。
心臓に疾患があって、薬やバイパス手術などを試したけれどダメで、ほかに治療法がないという状態を僕らは「ノーオプション」と呼びます。こうなると、もう安静にしているしかない。心筋シート治療はそのような患者さんでも間に合うんです。
-- 希望に満ちたお話です。ただ、今はまだ誰でも受けられる治療というわけではないのですね。
心筋シートを使った手術が保険診療で受けられるようになれば、医療費に税金が使われるので、患者さんの負担が少なく、広く普及しやすい普遍的な医療といえるようになります。片や、自由診療は患者さんが医療費を全て負担するので、裕福な人しか受けられない医療。みんなが治療を受けられる日本の国民皆保険の制度に認められることは、ハードルは高いですが、世界に広げていくためには必要なことだと考えています。
心筋シートのもう一つのいいところは、低侵襲で患者さんへの負担が少ないことです。手術で胸は切り開くけれど、心臓にメスを入れることはなく、心筋シートを貼るだけ。時間もかからないし、誰でもできるから、医師にとってもリスクが少ない。病気を高い確率で治せる名医を「神の手」ということがありますが、僕は、そんな名医はいないと思っています。誰でもできるようなシンプルで効果の高い手術の仕方を開発して、普遍的な医療を確立したいんです。
-- 心筋シートの開発にあたっては、多くのご苦労があったのではないでしょうか。
そうですね。2000年頃から、重症心不全の方の太ももの筋肉を少し切り取り、そこから筋芽細胞を取って培養し、筋芽細胞シートをつくって心臓に移植する再生医療に取り組み始めました。動物実験や人体での治験を経て、世界で初めて成功するまでに実に15年以上かかったんですよ。
この筋芽細胞シートの技術をさらに高めたいと考えて、2008年頃から新たにiPS細胞を使った心筋シートの開発を始めたんです。2012年にiPS細胞の研究でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授との共同研究です。安全性基準を構築し、製品を製造して、安全性を確かめながら商品化していく過程は、僕たちにとって初めてのことだらけ。大学では、製造販売承認を取得できない、研究を通じて蓄積される膨大なノウハウも生かしきれないというアカデミアの壁にもぶつかりました。2017年にクオリプス株式会社を立ち上げ、製品を臨床で使ってみてデータを集め、フィードバックを繰り返してようやく製品化にこぎつけたんです。
-- ノーベル賞受賞前から共同研究が進んでいたんですね。心臓に移植するシートの開発には25年近くも関わっておられるんですね。
はい。これからは、開発の拠点は日本にとどまりません。2023年11月にサンフランシスコで行われたAPECでは、経済産業省がシリコンバレーに設立した、日本のスタートアップを支援する「Japan Innovation Campus」の開所式も併せて行われました。支援を受ける5社にクオリプス社が選ばれ、海外展開の足がかりができました。心筋シート治療を普及させるにあたり、必要な症例数も増えていきますが、以前から懇意にしているスタンフォード大学の心臓外科の教授が全面協力の名乗りを上げてくれています。アメリカで、さまざまな研究者とともにスピード感を高め、開発していきます。
-- 澤先生は、どのような子ども時代を過ごされたのですか。
幼い頃は身体が弱くてぜんそくと食べ物のアレルギーがあり、何度か危ない目にも遭ったほどだったんですよ。中学ではバスケットボール部に入りました。元旦と終戦記念日を除く363日が練習日というような厳しい部活で、最初はついていくのがやっとでした。でもハードな練習を重ねるうちに、だんだん体力がついてきたこともあり、2年生の時にキャプテンになったんです。強豪校でしたから求められるミッションが高くて、リーダーとしての自覚や人の動かし方をすごく問われました。その経験があったからこそ、若手の時から仕事にがむしゃらに取り組めましたし、今もいろいろな場面でのマネジメントに役立っています。
-- 医師を志したきっかけは。
子どもの頃は機械いじりが好きで、工学部に行こうと思っていたんです。でも、高校2年生の夏に、10歳ほど年上の従兄が交通事故で急死しました。2カ月前には一緒に食事をしたのに。夏の暑い日の葬式で、「人ってこんなに簡単に死ぬのか」と思ったことは今でも忘れられません。
それまではバスケ漬けの毎日でしたが、医師を目指す方向にシフトして、大学受験のためにものすごく勉強しました。たまたま現役で入れてしまったので、また羽目を外してしまいました(笑)。あまり勉強はせず、毎日スキーとテニスばかり。ところが、雪が溶けてスキー場から大阪に帰る頃、周りが国家試験の勉強を始めているのに気付き、学業に引き戻されました。僕も競争心が強いほうなので、6年生の夏頃から1日12時間以上必死に勉強しましたよ。
-- すごい集中力ですね。
オンとオフがはっきりしているんです(笑)。合格後、「医学は体で覚えるしかない」という体育会系な考えで、一番厳しいといわれた第一外科に入ったんです。この時の教授が、心臓外科の基礎をつくられた川島康生先生でした。学問も医療のスタンスも一切の妥協が許されない医局でしたね。私も徹底してやる性格でしたから、研修医の中で誰よりも医局で寝泊まりをして、体を張って患者さんを診ていました。
医師になって10年近く経った1989年、川島先生の許しを得て、フンボルト財団の奨学金でドイツのMax-Planck研究所に約3年間留学しました。ドイツの生活では、日本の文化とは全く違うことに驚きました。個人が重視され、教授も学生も友人のように付き合っているんですよ。そこで組織のあり方を学び、教授に就任した時にそれを取り入れました。ピラミッド型の組織は上からの指示を待つばかりで成熟しにくいんです。「組織は円柱形であるべきで、研修医であれ、学院生であれ、どんな立場であっても、みんなが自分の力を最大限に発揮できるように、私は精いっぱい応援する」とよく話したものです。
-- 上司とフラットな関係性のなかで、さらに応援してもらえたら、後輩や部下の方々はやりがいを感じるでしょうね。
-- 今後も心筋シート治療の普及に尽力していかれるのですね。
はい。さらに、一般的なカテーテル治療においてもiPS細胞を使いたいと思い、海外で開発中です。開胸手術をせずにすみますし、早めに心機能の低下を抑えられるから心不全の予防ができるんです。この治療で、30%まで落ち込んだ心機能が60〜70%まで戻るようになると見込んでいます。カテーテル治療は毎年約25万件も行われているんですよ。
また、今後スタンフォード大学では、もっと培養できる細胞の種類を増やしたいですね。日本での研究開発の手応えを生かしながら少し戦略を変えて、臓器や組織を模倣した3次元構造体(オルガノイド)を利用し、さらに有効な細胞シートを開発しようと進めています。まずはシンプルな細胞から始めてバージョンアップさせていきます。
-- 心筋シートの研究開発で得られた知見を応用展開していくのですね。
そうなんです。日本では、クオリプス社での製品化までのノウハウをもとに、ベンチャーを育てようと取り組んでいます。大阪の中之島で未来医療を実現していく「NakanoshimaQross( 中之島クロス)」という財団の理事長をしているんですよ。日本は拠点づくりにばかり力を入れていますが、むしろ足りないのは、ベンチャー企業をサポートするインキュベーターと、アントレプレナーシップ(起業家精神)だと思っています。僕が10年ほど前から共同研究しているスタンフォード・バイオデザインという教育の仕組みを生かして、シーズを見いだして「中之島クロス」で社会実装をするジャパン・バイオデザインをやりたいですね。やはり産学連携が大事だと思います。
-- 起業家を志す方々はどういったことを学ぶのですか。
ジャパン・バイオデザインでは、クリニカルイマージョンというワークがあるんですが、4人一組で病院の中を見て回り、ニーズを200個探すんです。例えば、看護師の方が点滴の針を入れにくそうにしているとかね。では、それをどうやって技術で解決するかについて、ブレインストーミングをして、試作品をつくったり、先行特許がないか探したり。ほかに、法律や業界内の規制、製造に関するプロセスを教えるのも大切です。そして、ベンチャー企業が生まれ、上場企業に成長したり、製品が生まれたりしていくんです。日本にもどんどんベンチャー企業が生まれていくようになるといいですね。ゲノム医療やAI医療など激しい変革のなかで、先端医療開発と次世代医療人材の育成、そしてそれを実証する場があれば。「ものづくり」や「ひとづくり」を通して「まちづくり」につなげたいという思いです。
-- いずれは日本社会の変革にもつながるかもしれませんね。
そうであってほしいですね。僕がドイツに留学したのは、東西ドイツが統一される時でした。あの頃、日本はものすごく競争力があって世界を圧倒的に支配していました。当時のドイツは、僕の目から見たら質素にやっている印象だったけれど、今やGDPは倍ですよ。円でいうと1千万円ぐらいです。日本は4、500万円ぐらいでしょ。海外は、金利がどんどん上がりながら経済が回るから、給料が2~2.5倍ぐらい、物価も2倍以上に上がっています。この前、アメリカで小さいペットボトルの水を買ったら約500円でしたよ。日本は経済が小さくしか回っていないんです。給料も上がらず下がっているぐらいじゃないかな。何も増えていないから、あらゆる分野で抜かれています。この30年の間に、日本の国際競争力は海外と比べてかなり落ちていますね。
-- 「中之島クロス」から世界をけん引するような若手や製品が育ってくれたらいいですね。澤先生は、大阪・関西万博にも携わっていらっしゃると伺いました。
はい。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げる大阪・関西万博で、パビリオンの制作に関わっています。戦争や感染症、災害、超高齢化など、世界が数々の困難に直面する今こそ、命の尊さを伝えたいですね。学生たちとの「inochi未来プロジェクト」にも取り組んでいます。
-- コロナ禍で健康や命と向き合った若者も多いでしょうね。
そうですね。ただ、コロナ禍みたいなものはまた必ずやってきますよ。人類はウイルスや菌には勝てません。だから、そのつど新しい知識や技術を生み出して闘い続ける。人が病気で死ぬことがなくならない限り、医療は進化せざるを得ない。これを医学のレジリエンスといいます。医学はこのレジリエンスをもって、人類を生き残らせていくものだと思っています。
医療以外の分野の技術が、医療に貢献してくれることもよくあります。三洋化成にも外科手術用止血材がありますね。心臓の血管と人工血管をつなぐためには糸で縫うんですが、針穴から血が出てしまったり、血管が弱っていて縫うと破れてしまったりします。そういう時、この止血材を流血部位に塗布すると、速やかに部位を覆うふたになって、流血を止めてくれるんです。科学の発展が、従来は難しかった手術の成功を助けてくれる例です。医療業界に「こんなものが必要だ」というニーズがあって、それにフィットする製品が開発されて、医学と科学は一緒に進化していくんです。
僕自身も臨床試験や研究開発、製品化などいろいろなことをやっていますが、全ての目的は患者さんの命を救うためです。医師になって多くの方が亡くなる時に残念な思いをしたからこそ「人の命を助けない医師なんて嫌だ、人の命を救いたい、患者さんを死なせない」と強く思っています。
-- 命を救うことに対する先生の情熱を感じました。本日はありがとうございました。
と き:2023年11月29日
と こ ろ:西新橋・当社東京支社にて