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新しいリサイクル資源で目指す持続可能な世界

株式会社TBM 代表取締役CEO 山﨑 敦義

新しいリサイクル資源で目指す持続可能な世界

2022.01.14

株式会社TBM 代表取締役CEO 
山﨑 敦義 〈やまさき のぶよし〉
Nobuyoshi  Yamasaki
1973年、岸和田市生まれ。中学卒業後すぐ大工見習いに。20歳で中古車販売事業を起業後、複数の事業を立ち上げる。30代になり、台湾の会社が製作したストーンペーパーと出会ったことをきっかけに株式会社TBMを設立。自社開発した石灰石を主原料とする新素材「LIMEX」の普及、LIMEXによる資源循環モデルの構築を推進し、持続可能な循環型社会の実現に向けて、グローバル規模のサステナビリティ革命に挑む。
写真=本間伸彦

 

枯渇リスクが低いといわれている石灰石。石灰石を主原料にした、プラスチックや紙に代わるリサイクル可能な新素材「LIMEX」は、持続可能な社会の実現に向けて世界中から大きな期待を集めています。

今回は、LIMEXを開発した株式会社TBMの社長である山﨑敦義さんに、事業を通して描く未来、生い立ちや人生で大切にしてきたことなどを伺いました。

日本から世界の環境課題解決に挑む

-- LIMEXという素材は、どのような素材なんでしょうか

LIMEXは石灰石を主原料とした、プラスチックや紙の代わりとなる新素材です。現在はすでに袋や名刺など、さまざまな用途で活用されています。「LIMEX」という製品名は、limestone(石灰石)に無限を意味する「X」をつけ、いろいろなものに変化させられる無限の可能性があることを示しているんですよ。

-- かなり幅広く活用できるんですね。

そうなんです。現在はプラスチックに代わる車の部品や建築材料として使うことも視野に入れて開発を進めています。またLIMEXはリサイクルすることもできるんです。しかも原材料である石灰石は埋蔵量も豊富で、枯渇の心配がないといわれるほど。資源不足が深刻化する現在、世界的にも注目を集めています。

-- 世界中から期待されているんですね。

石灰石は日本国内にもかなりの埋蔵量がありますし、プラスチックや紙の代わりとなり、リサイクルも可能であるということからも、創業当初から素材の持つ潜在的な可能性やコンセプトへの期待や評価はかなり高かったんです。

なかでも特に関心を持ってくれたのが海外の方々。例えば紙を作るのには水や木などの資源が必要ですが、これらの資源が日本のように潤沢な国ばかりではありません。このまま人口が増えると紙が作れなくなるという国もあるんですよ。今注目が高まっているSDGsは日本で暮らしていたらピンとこない項目もたくさんあるので、自分事化しにくいじゃないですか。でも、海洋プラスチック汚染や二酸化炭素排出量の問題はますます深刻化しています。地球温暖化が進んで海面が上昇すると、国土そのものを失ってしまう島国もあるのは、皆さんご存じのとおりです。環境問題はあらゆる生態系に影響を及ぼしており、早急に取り組まないといけない問題です。だからこそLIMEXのように持続可能な素材を世界に広めることには、大きな意義があると思います。

-- なるほど。そのためにも事業をグローバルに展開させているんですね。

はい。これまでにも、農業革命や産業革命、情報革命といろいろな時代の変化がありましたが、僕たちはこれからサステナビリティ革命が間違いなく起きると考えています。プラスチックや紙などの素材をLIMEXに代替させ、世界の環境問題に貢献することで、持続可能な社会を実現していくことが目標です。

 

LIMEXを使った商品

 

自分が大きな会社を作る可能性なら1%でもある

-- そのような考え方を目指そうと思われたきっかけはどこにあったのでしょうか。

僕はだんじり祭りで有名な大阪府の岸和田市出身で。事業の関係で30歳くらいに東京へ来るまでずっと岸和田市に住んでいたんですが、あの町にふさわしい、それはもうわんぱくな少年でした(笑)。

-- 当時は山﨑さんもだんじりをいていたんですか。

曳いていましたね(笑)。中学校とかでも友達のなかでは目立つ存在だったんですよ。でも高校進学を考え始めた時、みんなは当たり前のように高校に行くけれど、僕はそういう感覚になれなくて。進学に対して、あんまりモチベーションが上がらなかったんですよね。

-- とりあえず高校は行っておくか、とは思えなかった。

そうなんですよね。「とりあえず」で進学しても、やめることになったら親に迷惑をかけるし、嫌だったんです。働けば好きなものが買えるし、親にもお金を入れられるからいいんじゃないかなと思って、中学卒業後すぐに大工見習いを始めました。

-- 15歳ですでに働くことの大切さや稼ぐ意味について考えておられたんですね。

いや、働き始めてすぐに「うわぁ、やってしまったな」と思いましたよ。みんなが制服を着てオシャレを楽しみながら青春を謳歌している傍ら、ヘルメットにドロドロの作業服を着て働いていましたから。一度、現場の使い走りとしてジュースを買いに行っている道中に進学していた友達に会ったことがあって、そのときはなんとなく気まずさも感じました。それに現場にも、大きな事を成し遂げるんだと夢を掲げる人も少なかった。自分も10年後はこんな風になるのかと思うと、とてもむなしく感じました。

-- そこからなぜ中古車販売の事業を始められたのでしょうか。

僕は高校や大学へ行って、自分がやりたいことや適性を考えたり、社会にどんな仕事があるかを知ったりする前に社会に出たんですよね。だから、学校へ行かずに人生を諦めたような発言をする後輩たちに、「やったらやれるんだ」という姿を見せてやりたいと思っていました。

僕自身も自分の人生の可能性というのをやっぱり諦めたくなかった。まだ見ぬ世界に出てさまざまな経験をしていきたい。大きな会社に勤める可能性は1%すらないかもしれないけれど、自分が大きな会社を作る可能性なら1%でもあるんじゃないかと考えるようにしたんです。そして、中古車販売の会社を起業しました。20歳の誕生日に友達と電気屋さんに行って、ファックスがついた電話を買ってきて、「これで会社だぞ!」って。

-- 中古車販売業を選んだのは、車がお好きだったからでしょうか。

はい。もう車が大好きだったので(笑)。それに田舎なので、みんなやっぱり免許を取ったら車買うじゃないですか。僕自身も地元のコミュニティーがいっぱいあったので、新車は買えなかったけれど、中古車なら手が届くかもしれないって後輩たちが僕のところに来てくれたんですよ。

-- 信頼する先輩から買うことができるのは、後輩の方たちにとってもうれしいでしょうね。

ええ。中古車って定価がないものじゃないですか。本当は事故車なのを隠しているんじゃないか、走行距離を偽っているんじゃないかなど、心配ごとも多いんです。だから「山﨑先輩のところなら安心だ」とみんなが声をかけてくれて、車もたくさん売れました。

入るのが難しい中古車のオークション会場に後輩たちを連れていって、好きな車を選んでもらってどうやって競り落とすか考えたり、朝の5時に洗車場で競り落とした車を洗ったり。大工の仕事のように日給が決まっているわけではなく、自分がやったらやっただけ返ってくることがすごく楽しくて。当時は夢中になっていましたね。

-- その後、ずっと中古車販売を続けたわけではなくて、岸和田から大阪市内に移動されたんですね。

中古車販売の仕事は好きだったんですが、次の挑戦を探していたタイミングで、堺市や大阪市内で建築関係の仕事をやっていた先輩に手伝ってくれないかと声をかけられました。そこで車屋を友人たちに託して、僕は先輩たちと一緒に公共工事や建築関係の仕事を始めたのです。

-- 中古車販売から建築関係のお仕事、さらに現在の事業とはどのようにつながっているんでしょうか。

大阪に台湾製のストーンペーパーの名刺を持っていた先輩がいまして。こういうのあるの知ってるかって、渡されたんです。

当時はマイ箸が流行るなど、エコというものがビジネスになって世の中が動き出す雰囲気でした。これは面白いんじゃないかなと思って少し調べてみると、台湾のメーカーから輸入する会社がちゃんと決まっていないことがわかったんです。そこでつてをたどってその会社を調べて、交渉して日本の正規代理店のようになったというのがきっかけですね。

-- 実際に事業を始めてみて、手応えはいかがでしたか。

大阪で自分から売り込むような仕事しかしたことがなかった僕のところに、テレビでCMを打っているような大企業からたくさんの問い合わせをもらったんです。ただ、高価なわりに品質が悪かったので全然売れなくて。

-- 今のものとは違うんですね。

全然違います。重いし、印刷のクオリティーも低い。何より石の粒が残っていて、印刷機を傷つけてしまうんです。これが大きなクレームにつながったこともありました。メーカーに言ってもなかなか品質が改善されず、赤字がかさむ一方で…。もうダメだという気持ちと、こんなに夢のある事業を諦めたくないという気持ちで日々揺れていました。そんな時に、今TBMで会長を務めてくださっているすみに出会ったんです。

-- この時期に出会われたんですね。

ええ。角は製紙メーカーで技術専務まで務めた経歴の持ち主です。彼にストーンペーパーの品質が改善されないことを相談すると、「僕なら良いものを作れる自信がある」と言ってくださったんです。それで技術開発をお願いしたんですが、かなりお金がかかるからと最初は反対されてしまって。でも「期待してくれる人が大勢いて、自分たちにトライできる可能性があるなら、やらない理由がない!」と頼み込んで、2人で新たに事業をスタートさせることになったんです。

 

2018年、岸和田だんじり祭りにて

 

仲間に対して謙虚に感謝する気持ちが最大の武器になる

-- 経験がないなかで、新しい事業を進めるのは困難も多かったのではないでしょうか。

はい。資材開発でもつまずきましたし、事業を始めるにあたっての資金集めも難航しました。出資を頼みにいろいろな人のところに行って事業の説明をするんですが、うまくいかないと、イライラしてしまうこともあったんです。今思えば、捨てるべきプライドを捨て切れていなかったんでしょうね。

事業がうまくいかない状況に対して心のどこかで被害者意識を持っていたんだと思います。でも当時83歳の角が、寒い実験室で実験を繰り返しているのを見て、会長がここまでやってくれているのに、僕は何をしているんだって吹っ切れたんです。そこから出資のお願いに行って断られてしまっても、改善点を教えてくれたことや時間を取ってくれたことに心の底から感謝できるようになりました。そこから少しずつ、いろいろなことが好転していったんです。

-- 心情の変化が壁を乗り越えるきっかけとなったんでしょうか。

角の技術をはじめ、知財や生産など、この事業にはいろいろなスペシャリストが必要になります。だから知識がある人や応援してくれそうな人がいたら、ぜひ紹介してほしいとお願いして、この人だと思う人がいたら、必死になって頭を下げて、同じ船に乗ってもらうということを繰り返してきました。

そうやって仲間を増やしていったんですが、なかでも一番大きな存在だったのが角だったんじゃないかなと思います。そういう点でもやはり彼には感謝の気持ちでいっぱいです。

-- なぜ、角さんはじめ多くの人に同じ船に乗ってもらうことができたと思いますか。

自分たちがやり遂げたいことをしっかりと語り続けたからじゃないでしょうか。

もちろん不安や、心が折れるようなことも毎日のようにありましたけれど、少しでも立ち止まっていたら、そこで多分僕は潰れていました。だから不安は圧倒的な努力で吹っ飛ばすしかないと思って、とにかく動いて走りまわったんです(笑)。僕を取り巻く環境のなかで起こることを、どれだけ自分自身に視線を向けて客観的に感じられるのか。それが困難を乗り越えるための鍵だと思っています。

-- 始めた人が心折れてしまったら周りも不安になってしまう。先頭に立つ人が情熱を失わず、不安な様子を見せることもなく突き進んでいたというのは大きいでしょうね。

自分がまだ動いて闘うことができるのに、それを諦めたり落ち込んだりなんていうことは許されないくらい、これまで本当に多くの人にお世話になってここまでやってくることができました。その人たちに対して感情移入して、謙虚に感謝する気持ちが、自分が果たすべき務めを果たすための最大の武器になると思います。

-- その思いが、たくさんの方に事業に参画してもらえることにつながるのですね。

みんな、一度しかない人生の大事な時間をかけて同じ船に乗ってくれているので、そこに対して応えなきゃいけない。乗ってよかったと思ってもらえる未来をつくるということは、絶対にやらなきゃダメだと思っています。そのためには心が折れている暇なんてありません。

 

 

資源を回収・再生する仕組みを作り持続可能な社会を目指す

-- これからの10年、山﨑さんは経営者としてどんなことに挑戦していきたいとお考えでしょうか。

まず、ここからの10年は50カ国でプラスチックとLIMEXを100万トン循環させ、サーキュラーエコノミーの仕組みをグローバルに展開したいと考えています。そのために重要なのが回収事業です。

2022年の秋頃に国内最大規模のプラスチックとLIMEXの再生工場を竣工する予定なのですが、そこでは集めた資源を分別、洗浄して、もう一度材料に戻せるんです。

-- それは汚れたものでも戻すことが可能なのでしょうか。

ええ。問題なく再生できます。実は今でもスーパーなどでは、消費者の方々が意欲的に回収拠点に持って来てくださるように働きかけることで、結構な量のプラスチックを回収できているんですよ。

しかし日本では回収した資源もサーマルリサイクル、つまり燃料として使っていることから、回収率は高いのにリサイクル率は低いんです。これだけ資源枯渇が叫ばれているので、燃やしてしまうのではなく、極力マテリアルリサイクルすることに注力しなくてはならないと考えています。そのためにもこうした既存のシステムとうまく共存できて、かつ安定して資源を回収・再生するマテリアルリサイクルの仕組みを作りたいんです。

-- なるほど。社員の皆さんもそこを目指しているんですね。

うちのメンバーはより良き未来社会のためなら、どこまでもがんばるんです。当社はまだまだ順風満帆な状況とはいえませんが、ハングリーに1年で10年分、個人としても会社としても成長して、サステナビリティ領域で世界のトップを取りたいと思っています。

そして、何百年と挑戦し続けていくような会社をしっかり残すことも、僕自身が現役でいる間に成し遂げたいことです。

うちのメンバーが幸せになれる会社を作ることはもちろん当たり前として、中卒で大工見習いから始まった僕でも、これだけの期待と責任を背負えるようになれるんだと、同じように挑戦をしていく人たちに見せてあげたいです。

-- 地元、岸和田の仲間たちのため、TBMの社員のため、そして世界の人々のために奮闘されてきた山﨑社長だからこそ多くの人々の希望になれるのですね。本日はありがとうございました。

 

2022年秋頃に横須賀市で竣工予定のリサイクルプラント
(イメージ図)

 

 

と き:2021年9月17日

ところ:有楽町の株式会社TBM本社にて

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