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ワクワクする会社をつくりたい

三洋化成ニュース No.529

ワクワクする会社をつくりたい

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2021.11.12

当社代表取締役社長兼執行役員社長
樋口 章憲 〈ひぐち あきのり〉
Akinori Higuchi
1959年、三重県四日市市生まれ。1984年、東京理科大学大学院工学研究科修了後、三洋化成入社。同年10月サンノプコ株式会社出向、2012年6月同社代表取締役社長。2014年6月三洋化成執行役員、2016年6月取締役兼常務執行役員営業第二部門担当、2018年6月取締役兼専務執行役員経営企画担当兼営業第二部門担当、2019年5月取締役兼専務執行役員経営戦略部門担当兼生産部門担当、2020年6月代表取締役兼執行役員副社長経営戦略部門担当、2021年6月社長就任。家族は夫人と1男1女、趣味は毎朝1時間程度の散歩と休日のジョギング。
写真=本間伸彦

 

今回は、今年6月に当社代表取締役社長に就任した樋口章憲の登場です。コロナ禍や脱炭素社会へのシフトという課題など、厳しい経営環境下でのスタートとなりました。関係会社サンノプコでの経験、経営理念や当社の将来像などを語りました。

高校で出会った化学の面白さ

-- ご出身は三重県四日市市だそうですね。

四日市でも工業地帯から少し山側に入った田舎で、実家は八百屋をしていました。小学校は通学に1時間近くかかるんです。小学校から帰ると、そこら辺の川で遊んでフナ、ザリガニ、オタマジャクシが友達。カブトムシも取り放題で、近所の子たちにあげていました。

-- 自然に恵まれた環境で育ったのですね。

勉強は全然しなかったし、成績はほとんどほぼ一番下で5段階評価の2ばかりでした(笑)。学校嫌いな無口な少年で、人間相手ではどちらかというと、いじめられっ子でしたが、当時は自分の世界みたいなものがあったので気にしませんでした。

-- 無口やいじめられっ子という印象は全くありませんが。

私が今のようになったのは中学時代からなんです。自然と活発になっていきました。

それから、四日市高校という地元の進学校に入って2年生で化学の授業が始まり、いきなり成績が学年で4番でした。国語や英語は全然だめでしたが、化学は高校からスタートできる科目だからいいなと思ったし、面白かったので勉強しましたね。それが化学との出会いです。

-- 出会いの印象も良かったし、結果もすぐに出せたのですね。

それで、やっぱり化学が好きになりましたね。大学受験のための文理選択では、苦手な国語や社会などの受験科目が少ない私立理系コースにしました。理系を選んだせいで、教室には男子ばっかり。せっかく共学校に入ったのに、この高校生活は何だろうという感じ(笑)。ずっと男どうしで遊んでいました。一度、なんとなくやってみたくて4、5人の仲間たちと授業をボイコットしました。担任だったその先生から職員室に呼び出されて頰をたたかれました。本気で叱ってもらえたのがうれしかったですね。

-- 東京理科大学に進まれましたが、上京しようと思った理由は。

中学校の修学旅行で東京へ行ったことがきっかけです。東海地区から出て広いエリアで生きてみたいという思いがありました。飯田橋駅そばの東京理科大学神楽坂キャンパスは、東京のど真ん中。どうしても行きたかったですね。

-- 大学時代の思い出をお願いします。

一番影響が大きかったのは、研究室の鶴田禎二先生です。陸軍出身で背は高くなかったですが、がっしりした体でしたね。柔道の有段者で、耳は潰れていました。いつ教授室のドアをノックしても、いつも笑顔で接してくれてフレンドリーな方でしたね。厳しい面もありましたよ。ある休日に大学で実験していた時、先生が来て「みんな来てるはずだけど、何で君、一人なの」って聞かれた。「急に来られなくなったそうです」と答えたら、先生はすごく怖い顔をされました。後日、みんなかなり叱られたと思います。

-- 一人ひとりの研究成果はもちろん、人としての礼儀作法を身に付けるという面からも、指導してくださったのでしょうね。

そうですね。印象に残っているのは「樋口君、絶対に英語は勉強しなさい」というアドバイスですね。先生は数カ国語をしゃべれたんですよ。先生の座右の銘「初心忘れず日々新たに」は私も大切にしています。

-- 当時の研究テーマは何だったのですか。

鶴田先生のもとで、海水からウランを抽出するための高分子をつくっていました。

-- ウランって海水から採れるのですか。

海水中に微量ですが含まれているんですよ。ウランの濃縮のための高分子材料の重合機構について学会で発表しました。当時は、絶対に研究者として化学をやっていくんだと思っていました。

-- 三洋化成への就職を決めた理由はなんですか。

鶴田先生が4社紹介してくれたなかの1社で。三洋化成って全然知らない社名だけど、京都に本社があるのはいいなと思った。東京は1年生活したら、何でこんなに人が多いんだろうって。

-- 場所で選ぶのですね(笑)。

面接で当時の前田常一社長から履歴書の書き方の不備をひどく指摘されたから、三洋化成はもう駄目だなと思って東京に帰ったのですが、翌日研究室に電話がかかって合格と。鶴田先生の推薦のおかげだと思いましたね。就職は厳しい時代だったのに、人を育ててくれる気持ちのある会社だとも思いました。

 

1983年5月、修士課程2回生の時に参加した京都開催の第32回高分子学会年次大会にて

 

不慣れな営業 支えてくれたのは人の縁

-- 就職後は念願の京都生活が始まったのですか。

実は、一回も京都に住んだことがないのです(笑)。入社して最初の半年間は茨城県の鹿島工場のプラントに仮配属されて製品を作っていました。職場では先輩方に製品づくりに対する向き合い方などを厳しく教わる一方で、職場以外はめちゃくちゃ楽しかった。先輩方とはすごく仲が良くて毎日のように飲みに行ったり、土日は野球したり、潮干狩りでアサリや岩ガキを捕って食べたりしていました。生産現場で勤めた半年後、サンノプコという三洋化成の関係会社に出向の辞令が出たんです。

-- 仮配属後にいきなり出向というのは、よくあるのですか。

前例はほとんどない。試しにやってみようと。次の赴任先は名古屋でした。その会社では楽しく研究開発をしていたのですが、6年後に営業への異動辞令が出ました。

-- 言われた時は、どんなふうに思いましたか。

仮配属後に出向といわれた時も、私が知らない新しい世界があるだろうと思っていたので、営業職も一回やってみようと思いました。そうは言っても、本心は研究開発から離れたくなかったですね。しかも勤務先は東京。京都の会社を受けたはずが、鹿島、名古屋へ行ってまた東京かと(笑)。

-- 営業の仕事はどうでしたか。

営業は研究開発よりも難しく感じましたし、向いているとは思えませんでした。今考えると、お客様から時に厳しく時に親切にいろいろと教えてもらいましたね。商談の仕方から飲み会でのマナーまで、相手に自分の思いを理解してもらうためにはどうしたらいいかというような営業のイロハみたいなこと。少なくとも相手を好きになる、信頼することだと言われましたね。今でも親しくしていただいている方がいらっしゃいます。

-- そういうことは、教えてもらわないと気付かないかもしれませんね。

生まれた時からずっと教てもらっている感じです(笑)。大学でも、三洋化成に入ってからも、出向先でも、そう。取引先の方からも教えていただきました。皆さん、すごく良い方で尊敬する方ばかりでした。

-- 相手に対して、心を開いて教わる姿勢でいらっしゃるから、人に恵まれるのでしょうね。

 

 

目の当たりにした米国の価値観、仕事のやり方

-- サンノプコではアメリカ出張も多かったそうですね。

当時、三洋化成とアメリカ企業の合弁会社だったので、若い時にアメリカに行かせてもらいました。この経験が私にとって大変有益でしたね。当時は1人か2人で出張し、空港に着いたらホテルに電話をして行き方を聞くんだけど、英語がわからないから全然違うところへたどり着いたり(笑)。英語は必要だと実感し、それから一生懸命に勉強しました。

-- アメリカはいかがでしたか。

初めてのアメリカで、合弁パートナーのマーケティングマネジャーだったジム・ヘイワードさんが1カ月ぐらい世話をしてくれて、アメリカ人との考え方の違いを身近に感じることができました。ワークライフバランスという点では、家族を大切にして単身赴任なんてありませんし、仕事も徹底してメリハリをつけて定時に帰宅するんです。男性も地域コミュニティーに積極的に参加していましたね。

-- メジャーリーガーも、奥さんが出産する時などは、大事な試合があっても休むそうですね。

そうなんですよ。接客も日本と違って、マイホームに招待して家族ぐるみで親しく交流しますし。仕事上の物事の考え方は整理されていて、あいまいじゃなくてわかりやすい。

-- 文化の違いを肌で感じたのでしょうね。

アメリカは全てのスケールが大きくて、当時は自分の仕事や会社を振り返って小さいなって痛感しました。出張帰りにニューヨークに寄って、エンパイアステートビルの一番上まで行ったら、これが戦前にできていたんだと。こんな国とよくけんかしたよなという感じ。私の価値観が揺さぶられるような経験になったので、従業員にも若いうちに大きな世界を見てほしいです。仕事の成果はあったほうがいいですが、その後に活かせれば、目に見える成果がなくても構わない。

-- 持ち帰って採り入れたことはありますか。

社内で私の権限が増えるに従って、いろいろな課題についてすぐに判断することや広い視点で物事を見ることなどを採り入れていきました。

-- 安藤孝夫前三洋化成工業社長(現会長)との出会いは。

2007年6月に安藤がサンノプコ社長になった翌年の8月頃からリーマン・ショックで売り上げがどーんと落ちて、利益を出すのが精いっぱい。申し訳ないと思いましたね。あの時、安藤と「逆にチャンスだ」と捉え直して、初めてのお客様や、過去までさかのぼって興味深いサンプルリクエストを受けたお客様を訪問するなど、いろいろ挑戦させてもらった。すぐには成果が出ませんでしたが、10年以上経っていろいろな成果につながっています。当時、業績を取り戻そうと、従業員が一体になっていました。サンノプコは規模の小さな会社だから、売り上げを上げようというだけでなくて、みんなで新しいことをやろうという風土が今もありますね。

-- 2014年に30年ぶりの三洋化成で、執行役員に就任されたのですよね。

三洋化成に戻ってからは潤滑油添加剤事業本部という営業と研究と生産が一つの組織になった事業体を任されました。私が何かをやりたいと言うと仲間が反対する。研究部長が反発してきた時は、専門家として言うべきことを言ってくれていると信頼できました。上司に意見するのは勇気がいりますよね。その意見を聞くと、そういう考え方や見方はあるなと私の考えの間違いにも気付けました。

-- 意思決定のスピードはトップダウンのほうが早いとは思うんですが、現場の意見を吸い上げて話し合うということですか。

反対意見もどんどん出してもらって全員で議論して、私の考え方を理解してもらいながら、現場の意見も盛り込んだ案に変えました。言われてやるんじゃなくて、みんなが納得感を持って進むと、やっぱりパワーが違いますよね。

 

1995年5月、初めてのアメリカ出張。
ジム・ヘイワードさんと息子さんとともに

 

思いと創造力が大切になる時代に向けて従業員全員が主役の舞台をつくる

-- 社長として、どんな会社にしたいですか。

働く人たちがここで働けて幸せだと思う会社にしたい。ワクワクする会社にしたい。働いている従業員が主役で、私は主役じゃありません。私の役割は、皆さんが仕事をしやすいような環境をつくること。演劇にたとえると、私がシナリオを書いて、そのシナリオをみんなが演じる。こうしたいとか、ああしたいと意見を出し合って、もっとシナリオを良くしていくことで、素晴らしい劇になります。どんな目標を掲げても、絶対にそういう風土がないと目標は達成できないと思っています。一番大事なのは、演じる従業員がいかに楽しく、いい演技をしてくれるかということです。現在、来春スタートする第11次中期経営計画を練っていますが、みんなにとって何が楽しいかと聞くのが議論の出発点です。

-- その考え方はコロナ禍や、脱炭素社会においても変わらないということですね。

どんな時でも、従業員にはやっぱり幸せな生活を送ってほしいし、会社では明るく楽しく前向きに仕事をしてほしいということは変わりません。登場人物や演劇の内容が違うだけ。高いモチベーションを持って取り組んでくれれば、結果は出せます。コロナ禍や脱炭素社会へのシフトという課題を、チャンスとして前向きに捉えていきます。

-- 産学共同研究なども積極的に進めている印象ですが。

当社の祖業は界面活性剤の製造ですが、われわれの精神というのは界面活性剤のように混ざり合わないものどうしをつなぎ合わせるんですね。人と人がつながれば、新しい仕事をクリエイトできます。全樹脂電池やアグリ・ニュートリション、匂いセンサー、シルクエラスチンなど成長の種まきを随時進めています。アライアンスへの注力を加速しています。

-- AI時代への対応はどのように。

私は、間接部門も含めた全ての部署、全ての従業員がプロフィットを生んでいると考えています。定型的な仕事は、IoTとかAIが必ず取って変わっていきます。そうすると期待されるのは、創造力です。例えば、人事で一番難しいのは評価ですが、その評価の基準や方法など、新たなシステムをつくり上げてみるというような。社内で良い効果が出たら、ほかの会社にも使っていただいてつながっていく。思いと創造力が、働く人にとって大切な時代が必ず来ますから、それを先にやりましょうと。

-- 最後に社長としての夢をお願いします。

規制をつくらずにどんどんやっていくと、活動の場はすごく広くなると思います。そういうことが従業員のモチベーションにつながっていって、これから先、5年後とか10年後に、三洋化成が従業員にとって働きがいがあって誇りが持てる会社として、社会のさまざまな分野で貢献している姿を、私は思い描いています。

-- 最近、新聞で三洋化成のバイオ・メディカル分野の製品開発が大きく取り上げられていたり、LGBTQ(性的少数者)の本を読んでいたら三洋化成が先進的な取り組みをしているという事例が載っていたりということがありました。化学製品の研究開発を通して新しいものを生み出して社会と会社に貢献する方もいる。化学以外のところで、会社のブランドイメージを高めたり、社会を変えていったりできる方もいる。三洋化成の従業員の皆さんは一人ひとりがいろんな可能性を持っているということを感じました。今日はありがとうございました。

 

社是「企業を通じてよりよい社会を建設しよう」

 

 

 

と   き:2021年7月20日

ところ:東京・日本橋の当社東京支社にて

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