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絵画を蘇らせて未来につなぐ

絵画保存修復家 岩井 希久子

絵画を蘇らせて未来につなぐ

2015.07.06

絵画保存修復家 岩井 希久子〈いわい きくこ〉

1955年、熊本県生まれ。80年に渡英し、ナショナル・マリタイム・ミュージアムで修復技術を学ぶ。

84年に帰国後、フリーの修復家として幅広い名画を手がける一方、脱酸素密閉保存の研究、日本の職人の技術を生かした修復など、独自の技術を探求。著書に『モネ、ゴッホ、ピカソも治療した絵のお医者さん 修復家・岩井希久子の仕事』(美術出版社)、『ソリストの思考術 修復家・岩井希久子の生きる力』(六耀社)。

 

写真=本間伸彦

今回のゲストは、ゴッホ、モネなど世界の名画や放浪の画家、山下清の貼り絵などの修復を数多く手がけてきた絵画保存修復家の岩井希久子さん。より良い修復のために独自の修復技術や道具を開発し、若い修復家の育成にも意欲を燃やしています。修復する絵画に向かう姿勢、絵画保存修復家を目指したきっかけ、日々の暮らしにおける芸術の役割など、長年の経験から得た知見と未来への思いを語っていただきました。

絵から画家の意図を感じ取る

-- 岩井さんの著書に、絵のクリーニングに唾液がいいと書かれていたのにはびっくりしました。人間の体の中で作られている液体がそんなに役に立つのですか。

これは、油彩画の修復では基本なのです。本当に不思議なのですが、水溶性で落とせる汚れ、例えば、タバコのヤニ、空気中の汚れ、ホコリ、ハエのフン、カビなどの汚れは、唾液が他の何よりも効果があります。唾液には酵素が含まれていて適度な粘り気や湿り気、温もりもあるので汚れが落ちやすいのでしょう。漆の表面をクリーニングするのにも使われていると聞いたことがあります。

 

-- 絵はそんなに汚れるものなんですか。

ええ、ものすごく汚れます。壁に掛けておくと空気中の汚れがどんどん絵の画面に堆積たいせきしていきます。特に日本の夏は湿度が高く、湿気が加わって汚れがくっついてしまいます。また、美術館では観客が運んでくる人の皮膚などの汚れが作品に堆積するので、国際巡回展示期間中に1、2回ホコリ払いをすることもあります。ダチョウの羽根や日本画で使う礬砂刷毛どうさばけを使ってホコリを集め、掃除機で間接的に吸い取ります。絵画は多くの方に見てもらうために展示されていると亀裂が入ったり、カビが生えたり、破れたり、いろいろなことが起こります。そんな状態になった絵を、治療したり、メンテナンスしたりしていくのが修復家の仕事です。

 

地中美術館 クロード・モネ《睡蓮の池》 補彩の様子

 

-- 人の皮膚が堆積するとは驚きです。今日は、絵画を修復する際の手順に沿ってお話を伺いたいと思います。

まず修復の前に作品の状態を見て、コンディションレポートという絵の健康診断書を作り、それをもとにどういう処置が必要かを決めていきます。それ以上に大事なのは、その絵と向き合うことで、その画家が何を伝えたかったのか、何を表現しているのかをじっくりと感じ取ることです。その画家の技法や特徴をとらえることで、経年変化で失われていたものを蘇らせる、それが表現したかったことにつながってきます。修復家は目に見えないものまで感じ取らないと、その絵に一番適した処置が何かがわからない。その辺がすごく難しいところですね。

 

-- コンピューターを使って機械的に判断できるものではない。

科学的な調査も大切ですが、それだけでは駄目なのです。例えば香月泰男の「シベリア・シリーズ」は、独自の技法で絵の具を大変厚く盛り上げているのですが、亀裂の修復に従来の接着剤を使うと風合いが壊れてしまいます。そこで、その風合いを変えないで健全な絵の具層を維持できる方法を考えるわけです。ただ姿形を物理的に残すのではなく、オリジナルの風合いを壊さないで保存できる方法を模索していく。

 

-- 修復では傷ついてしまった作品に対して、できるだけ元の状態に戻す努力をされるわけですよね。

はい。ところが、実は、過去の修復処置でオリジナルの色味とか風合いを失っているものがものすごく多いのです。私は、そういう修復をしてはいけないという強い思いで、オリジナルの風合いを壊さないような材料を選択し、工夫して修復をしています。

 

-- その時代によかれと思ってやってきたことが、後に違っていたと判断されることもあるということですね。

 

修復を繰り返して未来につなぐ

修復に正解はないし、今自分がやっていることも未来にどう判断されるかわからないという不安もあります。ですから自分が使った材料や修復の方法をきちんと記録に残したシールも作り、それぞれの作品に貼っています。絵というものは修復を繰り返して未来につないでいくものなので、必ず誰かの手が入ります。放っておけばなくなってしまいますが、愛情を持ちきちんとケアすれば人間よりも長生きをして、何世紀も生き延びていけるのです。

 

-- それは素敵なことですね。他に修復の技術で大事なのはなんですか。

画面のクリーニングに加えて、キャンバスのゆがみを直すことです。経年変化で平面性がなくなると、温湿度の関係で絵が動き、絵の具が浮いてきたり、亀裂ができたりするので、ゆがんでしまったキャンバスを平らにして平面性を回復することがすごく大事ですね。そのために木枠を外して、新しい基底材に張り替えます。

 

-- 木枠から外すほどの手術をしなければいけない絵はたくさんあるのですか。

ほとんどです。画家はもともと直角の出ている平らな画面の中に表現したい世界を描きますから、平面性は絵画にとって命なのです。私は新しい基底材に日本の屏風の下地パネルを応用しています。障子の桟さんのようなものに和紙が何層にも貼ってあり、軽くて丈夫で通気性がある、世界に誇れる優れたパネルです。十数年前から表具師さんにお願いして作っていただいていて「IWAI保存パネル」と命名し、それに絵を張り込んでいます。

 

黒子に徹し、謙虚でなければならない

-- 絵画修復というのは緻密ちみつで根気のいるお仕事ですね。

ええ、山下清さんの貼り絵を修復した時は、色紙を貼ったべニヤ板を取り外すのに1年以上かかりました。べニヤの繊維を一本一本取り除いていくので、神経を使います。

 

-- それだけ大変なお仕事を続けてこられたのはなぜですか。

もともと絵が好きでしたから、一点の絵と向き合える時間というのは、特別な時間なのです。その作家の絵と向き合っているといろんな発見があるし、すごさがよりわかるのが魅力ですね。展示してある絵を鑑賞するのとは違い、より身近になってくるのです。修復家としての責任もありますし。

 

-- なるほど。修復をされていると、昔の修復でいい仕事をされている作業の跡も見ることがあるのでしょうね。

さすがにうまいなというものもありますし、そうでないのもあります。世界的な名画でも過度な補彩をして、修復家がおごっていると思えるようなものもありますね。本当にデリケートなハーフトーンが失われている名画も結構あります。私は、修復家は黒子に徹しておごってはいけない、謙虚でなければいけないといつも自分に言い聞かせています。修復家は画家以上のことはできないので、目立たない修復、わからない修復が理想ですね。

 

-- 新しい基底材に張り直した後はどのような作業をされるのですか。

次は、画面の処置です。絵の具層の剥落はくらく止めの処置をしたり、黄変したニスを取ったり。欠損している部分があれば、そこに絵の具の厚みだけを充填じゅうてんして欠損している部分に補彩をしたりします。

 

-- どんな時に充填や補彩をするのですか。

直近では、ゴッホの『ひまわり』の修復で、亀裂を充填してその上に補彩をしました。そうすると本来のきれいな色がより見えてきます。ただ、花の芯のところの欠損した部分は、長年そのままできているし、絵として成り立っているので、充填や補彩をしていません。必要性が感じられないところには行いません。

 

-- それは知りませんでした。その時も、ゴッホと向き合われたわけですね。

ええ。ゴッホだけでなく、画家からはいつも強力なパワーをもらっています。修復は集中して行いますが、後で思うと自分の力以上のことができるいいパワーをもらえる時もあります。だけど修復している最中は、肩が重かったり、体調を崩したり、調子が悪くなることが多いです。修復の終わった後はスーッと抜けるので、画家の思いを受け止めているのかもしれませんね。

 

-- そうした充填や補彩が終わると修復は完成ですか。

私の場合はそこで終わりにせず、いかに保存するかにも注力しています。強引な修復はせず、脱酸素密閉の額装にしてお返ししています。修復しても置かれる環境が悪ければ元の木阿弥なので、現状維持できるような形にしています。脱酸素密閉は私の発案で20年ぐらい前から行っていて、10年以上経っても大丈夫だという結果は出ています。香川県直島の地中美術館にあるモネの『睡蓮』の修復保存にも応用しています。

 

-- 100年後、200年後でも残していけるように。

ただ、絵というのは生き物なので、定期的にメンテナンスをしないといけません。脱酸素密閉の額装も1回やって終わりではなく、5年、10年ごとに見直していければ良いと思っています。美術品というのは、常に誰かが愛情を持って面倒を見ていかないと、いつかはなくなってしまいます。

 

地中美術館 クロード・モネ《睡蓮の池》 顕微鏡写真撮影の様子

 

自分にできることしかできない

-- ここでお母様としての岩井さんのこともお伺いしたいのですが、その前に絵画保存修復家を目指されたきっかけを教えていただけますか。

父の影響もあって、子どもの頃から絵が好きだったのです。絵描きになりたくて東京芸大を受けたのですが、やはり壁は厚くて不合格。熊本県立美術館の建設準備室長だった父から、修復家という仕事があることを聞きました。ヨーロッパ視察の折に、その重要性を実感したのでしょう。浪人生活を送っていた夏休み、父の紹介で絵画保存研究所でアルバイトをさせてもらい、本物の絵を間近に観ることができたのです。その時に、修復の仕事は本物の絵に直に触れることのできる、面白い仕事だなあと思ったのがきっかけですね。

 

-- それからイギリスで絵画修復の勉強をされて、フリーランスの修復家として40年近くやってこられたわけですね。その間、二人のお嬢様のお母様としての顔もあった。子育てと仕事をどのように両立されてきたのですか。

両立はできていないと思います。当初は、来る仕事は全部引き受けて、子どもができてからも、家庭も育児もちゃんとやりたいと思い、とにかく必死でやってきたのですが、仕事に集中していたら家庭はおろそかになるし、家庭に集中していたら仕事ができない。ある時、両方完璧にするのは絶対無理だと思いました。幸いなことに近所に子どもの面倒を見てくださる方々がいてくださって、その方に預けて仕事を続けることができました。仕事は私にしかできないし、責任がある。特に国際巡回展の仕事はチームワークが大切で、一人抜けたら成り立たないのです。今振り返ってみても、それが良かったというのではなく、それしかできなかった。自分にできることしかできないと割り切ったのです。その代わり、娘たちを大事に思っているということは言葉でも態度でも伝えてきたつもりです。

 

-- やはり、仕事に対する責任感と絵がお好きだったことが続けてこられた原動力なんでしょうね。そしてその姿を見て育ったから、上のお嬢さんは岩井さんと同じ修復家の道を志すようになったんですね。
話題を日本の美術品修復に移したいと思います。岩井さんは日本の現状をどのように見ていらっしゃいますか。

日本の国公立美術館に修復家はいますが修復部門がなく、全国の修復家を集めても欧米の美術館一館の修復家の人数に満たないのではないか、というぐらい日本の修復家は少ないですね。修復の予算もバブル崩壊後、削減されています。美術館には面倒を見なければならない絵画がたくさんありますが、修復の必要性に対する認識はまだ低いように思いますね。

 

-- 課題を解決するためにどうなさっていきたいとお考えですか。

日本には修復家を養成するシステムがないので「修復センター」をつくって、修復技術者を育成し、西洋と日本を融合した修復技術と理念を継承していける場にしたいと考えています。そこでは修復のさまざまな技術や世界中の修復家に使用されている日本の職人技の道具を紹介し、修復がどんな仕事かをたくさんの人に知ってもらえるようにしたいですね。人材育成のために、インターンシップの学生や海外からの研修生も積極的に受け入れたいと計画しています。皆の手で文化遺産を未来に残していくという認識を持ってもらえるような場所が、日本には必要だと考えています。ただ残念ながら、IWAI保存パネルに使う和紙を漉すくための簀すを作る職人さんや、骨師さんが減っていたり、技術を伝える後継ぎがいないという問題もあります。例えばドイツにはマイスターの制度があって、アルチザンが希少なものを作り続けています。だからこそあれだけの美術品が残っているのではないかと思います。修復の仕事は日本の職人技術によって支えられていますので、何とか残してほしいですね。

 

-- 私たち一人ひとりができることは何でしょうか。

美術館へ行って絵を鑑賞する時に、この絵が鑑賞できるのは修復家の存在があるからだと少しでも意識していただけるとうれしいです。また、日本の現状を認識していただき、身近にある美術品を大切にする意識を持つことと日本の伝統工芸品を使用していただければ、未来につないでいけるのではないかと思います。

 

震災で知った「そのまま残す」修復

-- もう一つ、お伺いしたいのが芸術文化と私たちの関わりです。東日本大震災をきっかけに、絵に対する向き合い方が変わられたようですね。

福島の新地ビエンナーレという芸術祭が東京の銀座で開催され、津波に流されて砂だらけになった絵が掛けてあったのを見た時に、これは修復はせずにこのままの状態で残さなければいけないと思いました。脱酸素密閉のプロジェクトを推進している私にしかできないと思い、初めて自分から申し出た仕事です。広島の原爆ドームのように現状をそのまま未来に残すのも、一つの修復保存の手段かなと思うようになりました。

 

-- 元に戻す修復とは違う、事実を伝えていくということですね。

絵画は平和への願いや戦争の悲惨さを一番ストレートに伝え残せるものであり、人類共通の思いを残し、伝えられる手段だと思っています。そういう作家の思いを忠実に残して伝えていくのが、修復家の仕事です。

 

-- 岩井さんは、芸術文化は私たちにとってどのようなものとお考えですか。

震災があった時に多くの展覧会が中止になるなかで、フェルメール展だけが仙台で開催されました。それは、海外の美術館の館長さんたちが、こういう時だからこそ芸術作品が必要だという確固たる信念を持たれていたからです。それを確信した出来事が、偶然テレビのニュースで仮設住宅の壁にフェルメール展の絵葉書が3枚貼ってあったのを見た時でした。その時、生きている人間には芸術が必要なんだ、精神的な支えになるんだと感じ、この仕事をしていて良かったと思いました。人間にとって精神的な支えになるもの、それが芸術文化だと思います。

 

-- 芸術作品は順境の時だけでなく、逆境の時こそ私たちの心を支えてくれるということですね。本日はありがとうございました。

と き:2015年4月23日
ところ:東京・日本橋の当社東京支社にて

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