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飛んでみるからこそ見えるもの

エア・フォトグラファー 多胡 光純

飛んでみるからこそ見えるもの

2015.05.15

エア・フォトグラファー 多胡 光純〈たご てるよし〉

1974年東京都生まれ。京都府木津川市在住。獨協大学卒。学生時代は探検部所属。

主な活動に「マッケンジー河漕飛行」「天空の旅人 紅葉列島を飛ぶ」などがあり、旅とモーターパラグライダーによる空撮を軸に作家活動を行っている。2014年12月には10年間の活動をまとめたDVD『天空の旅人シリーズ』3作を同時リリース。販売はwww.tagoweb.netにて。

 

写真=本間伸彦

今回のゲストは、モーターパラグライダーによる空撮を軸に国内外で精力的な活動を続けるエア・フォトグラファーの多胡光純さんです。本誌では「天空の旅人〜旅する空間を空から望む〜」と題した連載を2010年初夏号(№460)から前号まで5年間にわたり、表紙・巻頭を担当していただきました。対談では連載を振り返っての感想から始まり、空撮にこだわり続ける理由やモーターパラグライダーの魅力などについて語っていただきました。

本当にやりたかった写真と文章の仕事

-- 5年間の「天空の旅人」の連載お疲れ様でした。いつも楽しく拝見していました。ご自身にとってこの連載はどういうお仕事でしたか。

「旅先での出会いや感動を写真と文章で表現したい」という気持ちが強かったので、僕が一番やりたかった仕事をさせてもらったと思っています。

 

-- 写真だけではなく文章も。

そうなんです。大学時代から旅をして文章を書いていきたいと思っていました。そのなかで行きついたのが「俯瞰ふかんの写真を撮る、そしてその写真の下に暮らしている人たちの物語を書きたい」ということでした。もちろん、売れる売れないは別ですが、これだったら納得して追求できることだと思っていたので、そういう意味で今回の連載では本当にやりたかったことをやらせてもらいました。

 

-- 映像よりも写真がやりたかったのですか。

はい。一枚で表現する写真と、ストロークで表現する映像は別物だというすみ分けが僕の中にあって、一枚でどこまで語れるかという写真が好きです。モーターパラグライダーで天空を旋回すると、飛び立った場所やその時の思いを一望できる瞬間があります。写真であればそれを一枚で撮ることができます。

 

-- 私は多胡さんの連載でいろいろ感動したところがありましたが、モンゴルを舞台にされた回での「風は草の上を走り、なでられた草から風の位置が手に取るようにわかった」という文章が一番感動しました。自分が感じている風以外の風の流れを目で見ることができるんだなぁと思ったんです。地上にいると広い視野で、俯瞰して風景を見ることができないので、木々がそよいでいるのは見えても、草が撫でられている様子はなかなか見えない。それが見える場所にいるんだと思って、ぞくぞくしました。

風のことは常に気にしています。飛ぶ前も首筋で風を感じるくらい敏感になっているので、離陸の時は、例えば、渦巻きの蚊取り線香の煙がどちらに流れているか、ということまで気にします。

 

-- 離陸する時、風はなくてもいけないし、ありすぎてもいけないんですよね。

モーターパラグライダーは、エンジンを推力に飛び立つので、風はないほうがいいんです。風があると乱気流が発生するので、思う空間に入っていくのが難しくなります。飛び屋の言葉を使うと、風にも生きている風と死んでいる風があって、後者に入ると浮力を得られなくなって落ちてしまう。飛びながら常に、入れる場所と入っていきたい場所を探して飛んでいます。障害物より高い所では、風の跳ね返りや乱気流がないので飛びやすい。下がってくると乱気流との戦いになる。風によって入っていける場所が決まるのは、低く飛ぶことの制約であり面白さでもあります。

 

-- モーターパラグライダーではどのくらいの高さまで行けるんですか。

すごいエンジンを作ってエベレストを超えた人もいます。僕が飛んだのは5050メートルです。5050メートルというのは、人が定住している最高高度だそうで、この高度を飛べるということは、僕は今のスタイルで世界各地、人が定住している場所ならどこでも旅ができるということになります。

 

-- それは自信でもあり、旅先選びの候補が広がりますね。

 

スイッチが切り替わる瞬間

-- モーターパラグライダーには乗り始めてどれくらいですか。

13年です。いきなり標高が高い所や、観光地などで飛ぶことは難しいので、一つずつ飛べる場所を開拓していったという感じです。モーターパラグライダーのエンジンは、基本的には原付きのバイクと同じツーストロークのエンジンなので、スノーモービルに詳しい方にエンジンのことを聞くために北海道に訪ねて行ったりしました。

 

-- 作るところからご自分でされるんですか。

メーカーが作っているものはあるんですが、自分がしたい撮影を可能にするため、さきほど言ったスノーモービルに詳しい方の他にも、カート屋さんに行ったり、モトクロスの方を訪ねたり、エンジンに関する情報をいろいろ仕入れて、参考にしてきました。エンジンの改良を重ねて、最初は30分ほどだった飛行時間も4時間程度にまでパワーアップさせました。運転技術的には、今ならソファ一つ分くらいの場所ならピンポイントで着地できます。

 

-- 最初の頃からそんなに運転がうまかったのですか。

全然そんなことないですよ。冬の撮影の時に、着陸ポイントが伸びてしまって、雪が3、4メートルも積もっているようなところに落ちてしまったり。連載では、のんきに書いている部分もありましたが、墜落や不時着などの事態はいつも頭の中にはあります。飛ぶためには身軽な方がいいので、軽くて腹持ちがいいソラマメを非常食に携行しています。

 

-- ソラマメですか。本当に鳥のようですね。モーターパラグライダーの重さってどれくらいあるんですか。

全部で50キロです。それを背負って走って離陸します。

 

-- エンジンが付いているので、勝手に飛び上がっていくのかと思いました。

タイヤがあればエンジンで飛び上がれるんですけれど、タイヤを付けると飛行場から飛ばなければいけないなど制約が発生します。僕の場合は、旅をして、人と出会って、道中に「ここから飛びたい」と離陸場所を決めるため、タイヤを付けてしまうと、自由に行きたいところに行けなくなってしまうので自分の足で走ります。時速30キロ近くのスピードで20メートルくらい走るので、体は意識して鍛えていますね。

 

-- シャッターはどうやって切るんですか

片手で運転して、片手でシャッターを切ります。マニュアル撮影をするので、片手で感度やホワイトバランスも変えています。

 

-- 片手で操縦…。想像つかないです。ちなみに墜落したことはありますか。

エンジンを調整する過程で、テストの実験をしなければいけないので、その実験中に失敗して、ドンと突っ込んだりしてしまったことはあります。

 

-- 怖いですね。

モーターパラグライダーで1番死亡につながりやすいのが、水の中に落下してしまうケースです。30キロほどのエンジンを背負って、100本以上あるパラグライダーのラインが体に巻き付くことで身動きが取れなくなり、溺死してしまうということらしいです。落ちても生きて帰ってこれるように、自動膨張のライフジャケットをエンジンに付けたり、絡まったラインを切るためのナイフなどを携帯しています。

 

-- どういう状況が起こりうるか想定して、準備をしておかなければいけないんですね。

ここまで準備したから大丈夫と納得して撮影に臨みたいので、ここから先はやってみて対処するしかないというところまで準備します。そこまで準備しても、最初はおっかなびっくりでやっているんです。ただ、不思議とスイッチが切り替わる瞬間があって、「今、すごいものを見ているぞ」となると、前段の不安は全てなくなります。

 

原点は高台から見えた俯瞰の風景

-- 大学時代所属していた探検部では何をメインで活動されていたんですか。

飛ぶということは全然頭になくて、当時メインで取り組んでいたのは川下りです。初めは自転車で日本中を走り回って、オーストラリアの内陸に行ったりして面白かったんですが、どこまで行っても人が作ったわだちの上を歩いているんだな、という意識が抜けなかったんです。その後、道のない川下りに出会って「これはすごいぞ」と川旅をするようになりました。川旅では、アラスカやカナダといった原野に入っていけるような川を選んで旅をしていたのですが、そんな場所に行っても、川辺に暮らしているという人との出会いがあったんです。地図で見ると、半径300キロくらい何の記号もないような場所ですよ。そこにも実際行って見ると、小さな集落がある。どこに行っても人はいるんだなぁと驚き、そこでの暮らしを聞いて写真や文章で伝えたいという気持ちが生まれて、実際に写真を撮っていました。でもそういうことを伝えたり、記録したいんじゃないとは直感的に感じていました。

 

-- その後で、飛び始めたきっかけというのはあったんでしょうか。

自分が何をやりたいのか悩む時期が続いて、結局、モーターパラグライダーで飛び始めたのは28歳の時です。大学を卒業して5年くらいは、ガソリンスタンドで半年バイトして資金を貯め、そのお金で撮影のために海外に行くことを繰り返していました。そんな旅の中でデネ族というインディアンに出会ったのですが、彼らの集落が一望できる450メートルくらいの小高い山に登ってみると、旅をしてきたマッケンジー川や、川を包み込む針葉樹の森がずっと続いていて、その中にポツリとデネ族の集落が見えたんです。その景色を見た時に、この集落で彼らはハンティングをして、魚をくん製にして…隔絶されたように見える空間の中に、ドラマがあるということを感じて、この瞬間を写真に撮ったら自分は納得いくなと思えたんです。旅をして、出会って、その被写体、空間を高台から望むということなんだと気付いたんです。

 

-- 視点を変えることで、初めて得られた感覚…。

低い視点で周りを見ると、壁という仕切りがありますが、高い所に行くと、その背景やバックグラウンドが重層的に見えてきて、この高台から見た感覚を追求したいと強い思いが生まれました。それで、カナダ北部を飛びたい一心で、日本に帰国してから、セスナやヘリコプターも考えましたが、フォトグラファーとして自分で好きな時に飛びたいと思ってモーターパラグライダーを習いに行くことにしました。なんとか訓練を終えて、再びカナダ北部の世界に戻ってきたんですが、4日間飛べませんでした。

 

-- 怖くてですか。

はい。あの4日間はものすごく怖かったですね。白夜で太陽が沈まないからずっと明るくて。日付の感覚もなくなっていましたが、一丁前にお腹は減るので、食事の回数を数えながら、日を数えました。4日目にようやくエンジンをかけて、その匂いを感じた時に、急にこれまでの訓練の思い出や必死に進めた準備のことが頭を巡って「よしやるぞ」と気持ちが切り替わりました。

 

-- ついに達成したんですね。

はい。そうやって、バイトと海外での撮影という生活を続けているうちに「お前、飛んで撮っているのか」「写真をやっているのか」と物珍しさから声を掛けていただくようになり、アルバイトを卒業しました。

 

-- プロとしてやっていけると。

仕事は何もなかったんですが、嫁と結婚しようということになり、「アルバイトをやめてこれでやる」という具合で無謀でしたね。

 

-- 決めたら何とかなるし、何とかするという人生でいらっしゃるんですね。

何とかするし、足りないものはあとからくっつけていく。いろいろな人から支援をもらって、何とか生きさせてもらっているという感じでしょうか。

 

新たな経験、そして次の旅へ

-- 農業も始められたと聞きました。空を飛びたい人と土を愛する人は別かと思っていました。

なるほど。空を飛ぶ人は風の吹くまま、土を愛する人は地に足を付けてということですよね。

 

-- はい。一カ所に留まるよりは自由に動き回るのを好む方なのかなと思ったので。

そうですね。写真を撮ったり、文章を書いているのは、そこに暮らしている人の生き様があるから。自分の立場としては、勉強させてもらっている、伝えさせてもらっているという受け止め方をしていて、その自分の立ち位置について「人様の生き方を傍観しているだけじゃないか」という気持ちが実はずっとありました。その気持ちがすぐに、農業に直結したわけではありませんが、そういう気持ちがベースにあって、自分の食べるものは自分で作ってみたい思いもあり、ごく自然な流れで農業を始めました。

 

-- 土地はどのくらいの広さですか。

一反半。半反は畑で、一反は田んぼで米を作っています。農業は大変で、手にできたマメの上にマメができるみたいな感じで、もう腰砕けでした。でもそうやって農作業の苦労や得られる利益よりかかる経費の方が多い実態を少しずつ知って、これで生計を立てるのはどういうことなのかという目線を授かりました。体験をした上でそれを俯瞰したいという気持ちが強いので、農業を始めたことで新しい目線を手に入れることができたのは、すごくうれしいことでした。

 

-- 空からご覧になって、日本の美しいところはどういう部分でしょうか。

繊細、という言葉が端的に日本の魅力を表していると思います。四季が巡るのは地球の緯度の関係ですが、季節がちゃんと巡っている。それに山があって、海があって、平野もある。島国ならではの山と海の近さの関係で、風の動きや雲の動き、雨の降り方も違ってくる。それで繊細な植物が生まれて、彩りがなされている。僕にとっては、目を見張るような空間が散りばめられています。これからもそこに暮らしている人に焦点を当ててその空間を撮り続けたいと思っています。

 

-- 次の旅先は、もう決まってるんですか。

奈良です。農業を始めたことにつながっていると思うんですが、自分の暮らしている周りのこと、自分はどういう空間に包み込まれているのかということを知りたくて。自分が暮らしている京都府加茂は奈良市のすぐ北隣です。奈良は山々が続いて、紀伊山地があって、霊山吉野や熊野があり、そのまま抜けていくと太平洋に出ます。奈良を撮影することで、自分の立ち位置がはっきりと分かるのではないかと期待をしています。

 

-- それも早く見てみたいですね。今日はありがとうございました。


と き:2015年2月5日
ところ:東京・日本橋の当社東京支社にて

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