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三洋化成ニュースNo.550
2026.01.16

ゲストは1988年から22年間にわたり、英国の二つのロイヤルバレエ団で最高位であるプリンシパルとして世界のファンを魅了し続けた吉田都さん。卓越したテクニックと音楽性、情感あふれる豊かな表現力から“ロイヤルの至宝”と称されました。2020年9月からは新国立劇場・舞踊芸術監督に就任し、日本バレエ界の改革や若手ダンサーたちの育成に注力しています。
-- 2025年7月の、新国立劇場(新国)バレエ団の『ジゼル』ロンドン公演は、大評判でしたね。
ありがとうございます。本当にうれしかったです。英国ロイヤルバレエは、英国で長く愛されているピーター・ライト卿演出の『ジゼル』を上演しています。あまりにも有名な傑作なので、ロイヤルオペラハウスで私が演出した『ジゼル』を上演するのは避けたいという気持ちがあったのですが、新国バレエ団のオリジナルのプロダクションで、コール・ド・バレエ(群舞)の美しさをアピールできるということで決めました。4月に新国で上演した時に、それぞれの演技を見て「これなら大丈夫」と感じ、自信を持ってロンドンに向かうことができました。
-- ご自身で舞台に立たれる時と、舞台にダンサーを送り出す時では、気持ちが違いますか。

2025年7月、新国において『ジゼル』ロンドン公演の記者発表を実施(撮影:阿部章仁)
自分が踊るほうが、はるかに気が楽です(笑)。監督は舞台が始まってしまえば何もできず、ダンサーたちを信頼して任せるしかありませんから。その代わり監督として注力したのは広報宣伝活動でした。今回は招待ではなく、主催公演でしたから、さまざまな媒体の取材を受けたり、ロイヤルオペラハウスでプレスランチを開催したりして、「ロイヤルバレエに育てていただいた私が連れて行くバレエ団です」と英国との親近感をアピールしました。公演に向けてポスターを掲示するタイミングも、効果的に注目を集められるよう綿密に計画しました。ロンドンの街中に新国バレエ団のポスターが掲示されている光景を見て「本当にロイヤルオペラハウスでやるのだ」と感慨深い気持ちになりましたね。ダンサーたちには、ロイヤルオペラハウスの舞台で踊ることを楽しんでほしいと伝えました。
-- ダンサーにとっても、ロイヤルオペラハウスで演じる経験は特別なものですよね。
ロンドン公演の数日間でダンサーたちが変わっていくのを目の当たりにしました。そもそも海外に行くのが初めてというメンバーもいましたから。現地の空気を肌で感じて、これまで私が言葉で伝えてもなかなかピンとこなかったことを理解したようでした。日本のお客様は幕中では静かに見て、最後に長くて温かい拍手をしてくださるのですが、ロンドンでは幕中でも面白ければ笑いが起きたりしてダンサーを盛り上げてくれます。そこから、自分たちが表現することをもっと観てほしいという気持ちも育ったように思います。
-- このロンドン公演で、特に好評だった点は。
「コール・ド・バレエがピシッとそろうのは日本人ならでは」と感動してくださった方が多くいらっしゃったことです。海外のバレエ団は一人ひとりの個性が強く、コール・ド・バレエもそこまでそろえませんが、日本人はちょっとしたところでも気になって、そろえようと努力します。コール・ド・バレエは、演目を選ぶ際の一つの決め手となっていましたから狙い通りでした。ロンドン公演がうまくいき過ぎたので、次の公演のハードルが上がってしまったかもしれません(笑)。
-- 今後も海外公演を続けていかれるんですね。吉田さんご自身は現役時代、どんな舞台に立たれたのでしょうか。
いろいろな国の劇場で踊りました。ロシアのボリショイ劇場やマリインスキー劇場、アルゼンチンのコロン劇場などは感動的な美しさでしたし、スペインの王立劇場は楽屋までもがゴージャスだったのを覚えています。
ツアーは移動で心身を酷使しますし、踊る環境は場所によってさまざま。稽古場にバーや鏡がなかったり、舞台の床が傾斜しているつくりになっていたり。カーペットの上でウォームアップしたこともあります。でも、どんな環境であっても本番はプロとしてしっかり務めなければなりません。若い時にいろいろな劇場で踊ったおかげで、どんな劇場でも踊れるようになりました。新国バレエ団のダンサーたちも、もっと海外公演を経験してタフさを身につけたほうがいいかもしれませんね。

左:新国立劇場バレエ団『ジゼル』(撮影:鹿摩隆司)
右:吉田さんが世界中をツアーで回っていた頃 ピーター・ライト卿と男性プリンパルとともに ©Bill Cooper
-- 舞踊芸術監督のお仕事というのはどんなものでしょうか。
アーティスティック・ディレクターとして、公演作品の選定、配役の決定、リハーサルの確認など、舞台づくりの根幹に関わる業務を担っています。また、劇場の運営方針の策定にも携わり、組織全体の方向性を形づくる役割も果たします。こうした幅広い仕事を引き受けた理由の一つは、日本のバレエ界を少しでも良い方向へと変えていきたいからです。施設や処遇などの面で、日本のダンサーたちを取り巻く環境は、本当に厳しい状況にあります。私自身、ロイヤルオペラハウスが大規模な改修工事や移転などを経て、少しずつ理想的な環境に整えられていく過程を経験しました。ダンサーの創造性や集中力を支える土台になる環境を目指して、少しでも近づけていきたいと日々奮闘しています。
-- 大きな目標ですね。どこから着手されたのでしょうか。
まず取り組んだのは、ダンサーの体を取り巻く環境の整備です。けがを減らすためにトレーニングマシンを導入し、東京医科大学との連携もスタートしました。劇場が手配したトレーナー、マッサージの先生方によるケア体制も整え、トレーナーの数も増やしました。
また経済的な安定も欠かせません。英国ロイヤルバレエでは、ダンサーが劇場と雇用契約を結び、月給制で社会保険や年金も整っています。一方、日本では公演ごとの出演料が主な報酬であるため、ダンサーたちは地方の劇場でのゲスト出演やバレエ教室での指導などを掛け持ちしながら生活を支えています。無理を重ねるとけがのリスクもありますから体を休めてほしいし、インプットにも時間を使ってほしい。ですから、報酬体系を見直し、固定報酬の割合を上げました。公演回数も意識的に増やすことで、安定した収入につながるよう工夫しました。ダンサーたちが安心して仕事を続けられる環境をこれからも整えていきたいと思っています。
-- ダンサーにとって、新国バレエ団が改革を進めてくれることは、励みにも精神的な安定にもつながりますね。吉田さんが監督に就任された2020年9月はコロナ禍の真っただ中で、活動が制限されることも多かったのでは。
私も40年近く踊ってきましたが、かつてないことでした。外出自粛期間中はそれぞれが自宅でお稽古とエクササイズを続けていました。普段はレッスンを担当していない私もスタジオに入れないダンサーたちのために、自宅から何回かレッスン動画を配信しました。とはいえ、家の中ではジャンプの練習はできません。男性のダンサーのなかには夜中に公園で練習をしていた人もいたと聞きました。ようやく広いスタジオで練習できるようになった頃には、みんな横の移動ができなくなっていました。休んで抜けた体の動きに必要な筋肉や感覚を取り戻すには、休んだ時間の倍は必要です。それでも、みんな本当によくがんばりました。あの時期を乗り越えたことは、きっと今後の糧になると思います。
-- 緊急事態宣言の発出と解除が、数回ありましたね。

新国立劇場バレエ団『コッペリア』無観客ライブ配信
(撮影:瀬戸秀美)
最初の緊急事態宣言が解除された時、新国は率先して公演を再開しました。再開した時、踊れることは決して当たり前じゃないと実感しましたね。スタジオでは「密」を避けて10人程度でマスクをつけてお稽古をしていました。
再び緊急事態宣言が出た2021年のゴールデンウィーク期間中には、公演を中止にした『コッペリア』を無観客上演し、無料でライブ配信を行いました。あの、しんと静まり返った客席の光景はいまだに忘れられません。SNSでは多くの方から反響をいただき、これまでバレエを観たことのない新しいお客様が増えるきっかけにもなりました。芸術は心に栄養を届けてくれるものだと、改めて感じました。
最近も『アラジン』を無料配信しましたが、今後もバレエや芸術に気軽に触れられ、興味を持っていただける機会を数多くつくっていきたいと思っています。
-- 指導者としては、どのようなことを感じていらっしゃいますか。

体幹を安定させるトレーニングを行う吉田さん
私が踊ってきたなかで得た経験を、できるだけダンサーたちに伝えたいと思っています。けれど、指導する際に気をつけていることは、誰一人として同じではないということ。自分がやってきたことをそのまま当てはめるのではなく、それぞれの個性を考慮する必要があると感じています。また、私自身、現役で踊っていた時は常に体のどこかに痛みを抱えていました。だからこそ、みんなも痛みを抱えながらもがんばっていることを決して忘れてはいけないと思っています。言葉が強過ぎてしまったり、逆に足りなかったりと、反省することも多々ありますが。
-- 特に体の動かし方などは、感覚的な理解も必要なので、伝わりにくいのでしょうね。
そうですね。「つま先が伸びていないよ」と言っても、本人の感覚とはずれていることがあります。映像を使って気づいてもらうのが今は早道なのですが、それでは表面的な修正にとどまってしまう。つま先を伸ばして踏み出すその一歩で、何を表現したいのかでも動かし方が変わってきます。「形だけの踊りはやめて」と伝えるのですが、これがなかなか難しい(笑)。可能性は十分にある人たちですから、自分を客観視して、自分の課題に自分で気づくことが必要ですね。
バレエのお稽古は本当によくできていて、基礎から丁寧に積み上げていけば、トウシューズも履けるようになりますし、ジャンプも回転もできるようになります。だからこそ、バレエ学校には、技術的な土台をしっかり身につけた子たちを育ててほしいと強く願っています。その前提があってこそ、新国ではもっと人間の深みなど、アーティスティックな表現を追求することができると思うのです。
-- 表現力を高めようとすれば、心身に負荷をかけることも必要になってくるのでしょうか。指導者として、優しいだけでは務まらない時もあるのでは。

英国時代、クリスマスシーズンを飾る『くるみ割り人形』のパンフレットで、吉田さんは何度も表紙のダンサーに選ばれた
私も次々と出てくる課題を乗り越えながら積み上げてきた経験があります。その道筋を伝えようとするのですが、うまく伝わらないこともあります。英国では褒めて育てる文化が根づいていますが、できていないところをきちんと伝えることも、相手のためになると思います。若い頃は私も厳しい先輩が苦手でした。でも振り返ると、あの時に言っていただいたことが自分の糧になっていて、今ではまさにおっしゃる通りだったと感じることが多いです。「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉がありますが、私は「耐える力」も大切だと思っています。苦しい時期も諦めずに、耐えて耐えて、やがて花開くという経験をしてほしい。今は何でも効率よく済ませて、すぐに結果を求める時代です。でも、そこを越えてくる人は、やはり強いです。
-- 厳しい言葉のなかに、愛情や信頼を感じ取ってもらうことが大切ですね。
そうですね。例えば、体形のことなどは最近問題になっているハラスメントにならないよう、注意して指導するようにしています。女性の体形があまりにも変わってしまうと、持ち上げる男性ダンサーが大変だったり、けがにつながったりしてしまう可能性があるので、本人に伝えなければならない時もありますが、どのように伝えるかも肝心です。
私はダンサー全員と、年に一回面談をしています。相手の性格を知っておくと、どのような言葉で伝えたら伝わるかのヒントになります。ダンサーたちに思っていることを話してもらい、聞くことに徹するようにしています。
-- 数々の舞台で主役を演じてこられた吉田さんにとって、特に印象に残る作品は。

ジゼルを演じる吉田さん
スターダンサーズ・バレエ団『ジゼル』©A.I
どの作品も大切なものですが、新国バレエ団の『ジゼル』をつくるにあたり、初めてジゼルを踊った時のことがよみがえってきました。この作品で演じることを学び、育ててもらったと感じています。『ジゼル』は特に難しいテクニックが求められるというわけではないのですが、とりわけ演劇的な表現を大事にする英国では、ストーリーを伝えなくてはならない作品です。登場人物の感情の変化を表現することに苦労しましたね。
-- どのように表現されたのですか。
繊細な感情を表すために、踊りが棒読みにならないことがとても大切です。振り付けは拍に沿って決まっているものですが、一拍のなかで少し遊びをつくる。例えば、拍の取り方を伸ばすところと逆に縮めるところをつくって、ところどころにアクセントをつけるのです。そうやって抑揚をつけると、登場人物の感情や心境の変化が伝わりやすくなります。
-- なるほど。バレエでは、セリフがない代わりに、登場人物の気持ちやできごとは「マイム」と呼ばれる身振り手振りで伝えますね。
はい。バレエにはマイムが欠かせません。芸術鑑賞や読書、普段の生活をはじめ、あらゆることがマイムや踊りの表現に生きてきます。会話の時にどんな表情やジェスチャーをするのか、目の使い方や手・指・首・肩の角度や動きなどが非常に勉強になりますね。
-- 人の体の動きがどんな心を表しているのかを、意識して観察し続けて、舞台に生かしてこられたんですね。日本人がバレエをする時は、西洋の方との体格差がハンデになってしまうのでしょうか。
私自身は周りのダンサーたちとの体格の違いに悩んでいたので、空間を使って他の人よりも動き、スローな踊りの時は手をすっと伸ばして一瞬その場に残すことで、動きの余韻を残して手を長く見せる工夫をしていました。身長や手足の長さなど、生まれ持ったものは変えられませんが、努力次第で変えられることもあります。私も子どもの頃は膝がつかないO脚だったのですが、毎日トレーニングをしていたら、膝がつくようになりました。筋肉は鍛えた分だけ応えてくれますから、日々のお稽古の積み重ねが重要です。
-- 日本人の体格を生かす工夫や、理想の踊りに近づくためにトレーニングをしてこられたのですね。
はい。私も若い頃は、バレエは西洋のものだからと、日本人であることを押し殺してやってきたのですが、途中で「私は日本人。生まれ持ったものを生かして表現していこう」と思うようになりました。この思いを日本のバレエ団につなげていきたいですね。長い海外生活を経て帰国して改めて「日本って素敵だな」と感じるようになりました。日本人自身が、日本の良さをあまり意識していないのはもったいないと思います。西洋の良いところを学ぶ機会はきちんと用意しつつも、日本人の良さを生かしたバレエを上演していきたいです。
-- 吉田さんが率いる新国バレエ団が、日本人らしさを生かしたクラシック・バレエの新境地を切り拓くのを楽しみにしています。今日はありがとうございました。
と き:2025年9月8日
と こ ろ:東京都渋谷区 新国立劇場
