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バオバブの森に広がる丸い地上絵

森のマダガスカルを飛ぶ

バオバブの森に広がる丸い地上絵

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2019.10.01

バオバブ街道。この写真の右背後に緑の地上絵が広がっている。11年前に野宿した場所も、ここからほど近い。

 

空を活動の舞台としたときから、絶対にマダガスカルを飛ぶと決めていた。
学生時代、僕らが見たバオバブの森は、どんな空間に存在していたのか。
一一年の歳月が経ち、僕は再び、バオバブに出会う旅にでた。
今度は、はるかな空の高みから。
バオバブを見たい。バオバブの下で、南十字星(サザンクロス)を眺めながら野宿をしたい。バオバブは、高さは二〇メートルから高いもので五〇メートル、直径は五メートルから一八メートルにもなる巨木だ。サン・テグジュペリの『星の王子さま』にも出てくる。学生だった僕は、探検部の仲間と、マダガスカル島の北から南まで二〇〇〇キロを自転車で走り、バオバブの森を望み見る計画を立てた。一九九七年のことだった。

自転車でバオバブへ 一九九七

当時のマダガスカルでは、外国人が個人で旅行するケースはまれだった。たどり着く集落では、群がるように村人たちに囲まれた。「これは何だ」と自転車や装備への質問から始まり、「どこから来た」「どこへ行く」「腹が減っていないか」。毎回ひと騒動だった。マダガスカル人はとても温厚で、溶け込みやすい。食事を分けてもらったり、言葉を教えてもらいながら、旅は続いた。当時の日記を見ると「道は道にあらず」と、雨季の泥沼化した道の様子を描いたり、「なんて、みんな陽気なんだろう!」と、日本との違いを綴ったりしている。
首都のアンタナナリヴを出て、西に向かうほどに、文明の進歩が止まっているような村が現われた。住民の家の壁は、サトウキビの皮やわらを材料にして建てられていた。家の中には、小さな炊事用のかまどがあった。家に床はない。剥き出しの地面に、ゴザを敷いて生活をしていた。電気はなく、日が沈むと、すべては暗闇に消えた。
二ヵ月におよぶ旅の末、僕らは念願のムルンダヴァのバオバブの森に到達した。そしてバオバブを見上げ、野宿することに成功した。野宿した結果、わかってはいたが蚊の猛攻にあい、僕はマラリアを発症し、相棒はアメーバ赤痢になるという落ちがついた。
少々前置きが長くなったが、空を活動の舞台としたときから、僕はマダガスカルを飛ぶと決めていたのだ。かつて見たバオバブの森は、どんな空間に存在していたのか。一一年の歳月が経ち、僕は空からマダガスカルを望む旅にでた。二〇〇八年四月のことだった。

空からバオバブへ 二〇〇八

十一年ぶりのムルンダヴァ。大きな変化はなかった。人々は、相変わらずつばの短い麦わら帽子をかぶり、背筋を伸ばして裸足で歩いている。僕らが当時泊まった安宿を探したり、市場に足を運んでサカイという唐辛子ソースを手に入れたり。マダガスカルとの距離感を縮めようとする自分がいた。バオバブの森は、海辺に近い。潮の満ち引きで、風が変わった。
日が昇ると、大地は一気に温められた。大地から発生する上昇気流は、瞬く間に空で雲となった。グングンと大きくなる雲は、強烈なスコールをもたらす。赤道に近い、この国ならではの大気の流れを知った。安定して飛べる時間は限られていた。
土地勘があるとはいえ、フライト直前は気持ちが張り詰めた。「自分でコントロールできることは、すべてやった」と、思い切れるかどうかが大切だった。気持ちが決まり、顔を上げると、あたりには三〇〇人ほどの村人が集まっていた。エンジン音を聞きつけ、やって来たようだ。

バオバブの森で暮らす人々。定番の一戸建て。
上部にはプランテーションの端が見える。

バオバブの森と緑の地上絵

バオバブの森へ向け、離陸。飛び立ち、見えてきたのは、どこまでもどこまでも続く、バオバブの森だった。その森の合間には、水田が広がっている。バオバブのもとには、家が立ち並ぶ。人々の暮らしは、バオバブに守られているようだった。
一九九七年当時、僕らはこれほどスケールの大きな空間を旅していたのか……。愕然とさせられた。野宿した場所にも近づいてみる。すると、あたりにはいくつもの沼があった。蚊の猛攻を受けた理由が、今になって分かった。バオバブの森の上で、高く、大きく、三六〇度の旋回を始めた。すると、大きな緑の地上絵が見えてきた。これはプランテーションか? 目を疑った。
大きな大きな緑のサークルが、ドンドンドンと、斑点のように大地に描かれている。その一つを横切るのに、二分かかった。モーターパラグライダーは時速三〇キロ。一分間に五〇〇メートル進む。一つのサークルは、直径およそ一キロもある巨大な円だと分かった。離陸した場所から推測するに、サークルで栽培されている緑はサトウキビに違いない。
裏切られたような衝撃だった。どうして、バオバブの森の中にプランテーションがあるのか。目に映るのは、緑の地上絵に追いやられたバオバブの森の現状だった。
かつてムルンダヴァの近郊には、深いバオバブの森が広がっていたが、その後、農地開発のためにほとんどが伐採されたという。プランテーションの経営は中国人が行なっていた。地元のマダガスカル人を多く雇用し、地域貢献しているという。これが現実だった。ただ、二〇〇七年になって、残ったバオバブを保護することが決まった、と聞けた。

バオバブの森の奥にはプランテーションが広がっていた。直径1kmの巨大な円が36個。
地上からは、その規模は分からない。

記録する者として

自分のエゴなのか。旅した空間は、永遠に美化したいものなのか。一一年前も今も、僕は豊かなバオバブの森を期待していた。再訪フライトは、フライトとしては成功した。しかし空からの眺めは、現実をそのまま見せてくれた。
地球が内包する空間は、想像も及ばぬスケールで横たわっている、と信じている。しかし、一つひとつの空間は、想像以上に、人による浸食と隣り合って成立しているのかもしれない。
世の中、絶景写真は多々あるが、記録する者として、何に視線を注いでいくのか。思い出を通じて、自分が深く問われた旅だった。

バオバブの森には広範囲に水田が広がる。田植えをする人々。牛が代かきをする。マダガスカル人はとにかくお米をたくさん食べる。カレーライスをよそう丸い皿にドサッとお米が盛られ、それを平気でおかわりするぐらいだ。

(協力 テレビ朝日「空から見た地球」)

文・写真=エア・フォトグラファー 多胡 光純〈たご てるよし〉

1974年東京都生まれ。京都府木津川市在住。獨協大学卒。学生時代は探検部所属。

主な活動に「マッケンジー河漕飛行」「天空の旅人 紅葉列島を飛ぶ」などがあり、旅とモーターパラグライダーによる空撮を軸に作家活動を行っている。2014年12月には10年間の活動をまとめたDVD『天空の旅人シリーズ』3作を同時リリース。販売はwww.tagoweb.netにて。

 

写真=本間伸彦

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