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不毛の砂漠を貫くアスファルトの道

中国・タクラマカン砂漠を飛ぶ

不毛の砂漠を貫くアスファルトの道

2019.10.01

タクラマカン砂漠。砂丘の高さは50mほど。砂丘の砂は、風で三日月の開いた方へと流れ、移動していく。

高校時代に読んだ探検記で憧れ続けてきた、中央アジア奥地。なかでもタクラマカン砂漠は、人間の侵入を許さない厳しい場所だという強烈なイメージがあった。そこを飛べる機会が、突然舞い込んできたのだ。砂の海を吹く風への不安より、憧れの地を飛べるうれしさが勝った。

「タクラマカン砂漠を飛べるだろうか?」。電話の相手は、映像制作会社プロデューサーの広瀬凉二さん(六六歳)。突然、憧れの舞台が目の前に現われ、僕の頭は混乱していた。
タクラマカン砂漠の横断で九死に一生を得たエピソードが綴られる『中央アジア探検記』。そして、幻の湖「ロプノール」を解明すべく、シルクロードの果てへと向かう探検を綴った『さまよえる湖』。探検家スウェン・ヘディンの著作は、高校時代からの愛読書だった。
その憧れの探検の舞台を、空から望める機会が目の前に現われていた。砂漠の風は分からなかったが、即答していた。「飛べます!」と。二〇〇六年四月のことだった。

総延長五二二キロのオイルロード

タクラマカン砂漠は、中央アジアのタリム盆地の大部分を占め、日本を飲み込むほどの大きさを誇る。現地のウイグル語で「一度入れば、二度と出られない」を意味するという。また、巨大な砂丘が生き物のように姿を変え、シルクロードを行く隊商(キャラバン)や幾多の探検隊の命を奪ったために「死の海」とも呼ばれる。

 

オイルロードと石油採掘の前線基地。テントが張られ、砂漠探査用車が並ぶ。車のタイヤは極太で、幅80cm

このとんでもない砂漠のど真ん中から、原油が噴出。中国は国を挙げて石油開発に着手した。一九八四年のことだった。そして、一〇年後。砂を布で覆い固める新技術の開発に成功。砂漠を南北に貫く、五二二キロの道、「オイルロード」を作り上げた。
躍進する中国経済を撮ることが取材の目的だったが、それ以上に、探検家が旅した砂漠を自分の目で見てみたいという思いがつのる。僕は急ぎエンジンに防塵対策を施し、出国に備えた。新疆(しんちゃん)ウイグル自治区の中心にあるウルムチで飛行機を降り、車で移動すること丸一日。タクラマカン砂漠の北端に位置するオアシス・コルラにたどり着いた。ここから五〇〇キロ、オイルロードを南下した。

あたりは秒速一〇メートルの砂嵐。目は開けられない。細かな砂が入り込み、髪の毛はバサバサだ。吹き上げられた黄砂は太陽を遮り、日中なのに車はヘッドライトをつける。ワイパーで砂を掃きながら、アスファルトの道を頼りに薄暗い世界を進んだ。

砂丘の高さは五〇メートル

朝がやってきた。日差しが砂丘に当たるやいなや、日の当たる面と当たらない面とで対流が起こり、風が発生する。そして、その風は突然、竜巻へと変化して、あたり構わず巻き上げていた。これがタクラマカンの風だった。はたしてモーターパラグライダーで飛ぶことができるのだろうか? 経験したことのない風が、不安を倍増させていた。

三日続いた嵐が去り、チャンスがやってきた。しかし、舞い上がった黄砂は上空に残り、漂う。依然として、視界の悪い黄土色の世界だった。日の出とともに離陸。
離陸するとたちまち、つかみどころのない砂の海が広がった。目印となるものはまったくない。いくら高度を上げても、波打つ砂の山が地平線まで続く。古の探検家たちは、どうやって進路を導き出したのか。圧倒的な景色を前にして、舌を巻くしかなかった。パイロットの意思とは無関係に、パラグライダーはいつもどおりに滑空して、グイグイとタクラマカン砂漠の奥へと入り込んでいく。砂丘は五〇メートルほどの高さがあった。尾根伝いに滑空すると、翼は風の対流を受けて歪みはじめた。そして、あっという間に砂丘の中に入り込み、自分の位置がわからなくなっていた。このまま不時着したらどうする? 探検家・ヘディンの心境に、少し触れた気がしてきた。

青いポンプ小屋に住む夫婦

オイルロードと、赤い屋根に青い壁のポンプ小屋。何さんは毎日、自転車に乗り、ホースの手入れを行なっている。植物の植わっていない道は砂に埋もれ、男女の労働者が毎日スコップでかいていた。

砂漠のなかに延びるオイルロードに沿って、飛んでいく。すると、点在する、同じ形をした建物が目についた。それは赤い屋根に、青い壁をしていた。建物沿いに、幾筋もの植物が列をなしている。「なぜ、水のない砂漠に植物が?」。疑問が湧いてくる。
着陸後、青い壁の家を訪ねた。四川省出身の何(か)さん(三三歳)は夫婦者としての出稼ぎで、このポンプ小屋に住み込み、働いているという。地下水を汲み上げ、散水し、砂漠に植樹した木々を育てている。ポンプは、一日に一二時間稼働するという。

水は、直径一・五センチのホースを流れる。ホースには一メートルごとに小さな穴が開いていて、その穴から水が滴るという仕組み。五キロにわたるホースの穴が砂で目詰まりしないように、毎日点検するのが何さんの仕事だ。同じようにホースの点検をする夫婦が、五キロごとに暮らす。
このホースは、オイルロードの全域に張り巡らされている。タクラマカン砂漠は、年間降雨量がわずか一〇ミリ。それでも、五二二キロにわたって延びるホースと、五キロおきに暮らす夫婦一〇〇組のおかげで、砂漠に木々を育てることを可能にしていた。
ホースを伝い歩くと、水が干上がった跡を見つけた。そこには白い結晶が残っていた。舐めてみると、塩辛かった。タクラマカン砂漠が太古、海だったことを教えてくれた。

オイルロードを守る三種の植物

黄砂で霞むコルラの街。かつてはシルクロードのオアシス都市として栄えた。

オイルロードに沿って植えられている植物。その最も砂漠に近い外側には、塩分に強くてアルカリ性の地下水にも耐えられる「ソオソオ」が植わっていた。背の低い、松のような木だ。その内側には、砂を押さえてしっかりと根を張る「スナナツメ」が植えてある。オリーブの木に似ていて、赤い実をつける。道路に一番近いところには、地下水をよく吸い上げてきれいな紫色の花を咲かせる「タマリクス」が植わっている。あとひと月もすれば、オイルロードは緑に縁取られるという。

散水効果で列となった植物。その壁が砂の侵入を防ぎ、オイルロードは砂に埋もれることなく管理されている。そして、ここをひた走るトレーラーに積まれた石油は、中央に届く。何さんは誇らしげに話してくれた。別れ際、幾つか尋ねてみた。「ずっとここで働くのですか?」。「お金がたまったら故郷に戻り、家を建てるんだ」。「ここの暮らしのつらいことは?」。「砂嵐で、何日もポンプ小屋に閉じ込められることだよ」。「楽しみは?」。「毎日、百科事典を一ページずつ読んでるんだ。ここは物音がなくて、勉強がはかどるよ」タクラマカン砂漠のど真ん中。黄砂に霞かすむ、果ての果てまで延びるオイルロード。上空からその道を見つめながら、淡々と働くポンプ小屋の住人と、躍進する中国経済に思いを馳せていた。へディンの探検から一〇〇年。砂漠の脅威は変わらずに残っている、と信じたい。しかし、砂漠に入り込む人間が現われた。そして、ドラマは新たに作られる。これが現実なのだろう。

(協力 テレビ朝日 「素敵な宇宙船地球号」)

 

文・写真=エア・フォトグラファー 多胡 光純〈たご てるよし〉

1974年東京都生まれ。京都府木津川市在住。獨協大学卒。学生時代は探検部所属。

主な活動に「マッケンジー河漕飛行」「天空の旅人 紅葉列島を飛ぶ」などがあり、旅とモーターパラグライダーによる空撮を軸に作家活動を行っている。2014年12月には10年間の活動をまとめたDVD『天空の旅人シリーズ』3作を同時リリース。販売はwww.tagoweb.netにて。

 

写真=本間伸彦

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