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時間や手間をかけてこそ生まれる、テンペラ画の魅力

テンペラ画家 田﨑 裕子

時間や手間をかけてこそ生まれる、テンペラ画の魅力

2021.06.10


テンペラ画家 
田﨑 裕子 〈たさき ゆうこ〉
Yuko Tasaki
1948年東京都生まれ。中央大学文学部社会学科卒業。1975年からアルベルト・カルペンティール氏に師事し、デッサンと油絵を学ぶ。1979年から石原靖夫氏に師事し、卵黄テンペラ画を学ぶ。1989年から個展を多数開催。1995年からテンペラ画教室を開催。
写真=本間伸彦

 

紀元5世紀から6世紀のイコン画(宗教画)から始まり、中世イタリアで発展した絵画技法「テンペラ画」。ヨーロッパでは忘れられかけていたこの技法を、日本で受け継ぎ、繊細な美しい作品を制作し続けているのが、テンペラ画家の田﨑裕子さんです。テンペラ画に打ち込む原点やその魅力、これからの展望についてお話しいただきました。

中世イタリアの絵画技法が日本で再び花開く

-- テンペラ画とは、どのような絵画ですか。

テンペラとは、ラテン語で「混ぜ合わせる」という意味の“temperare”(テンペラーレ)が元になった言葉です。中世イタリアでは、卵黄と絵の具を混ぜ合わせて描く卵テンペラの時代が長く、その後始まった油絵と区別して、油絵以前の絵画をテンペラ画と呼ぶようになりました。ボッティチェリやダ・ヴィンチ、ラファエロなどがその過渡期の画家で、テンペラ画を習得し、ルネサンスの頃に油絵の手法も取り入れています。油絵は描いた直後から油焼けや退色が始まりますが、テンペラ画は保存状態が良ければ現代でも色鮮やかで、昨日描いたようなきれいな絵が残っているんですよ。

-- その時代に好まれた画風というわけではなく、画材の問題なのですね。

はい。同時代のもう一つの絵画技法の壁に描くフレスコ画と違って持ち運びが可能で、繊細な表現に適しています。また工芸的な多様な技法表現もあり、額縁も同様な工程で作られていました。私も額縁は全て古典額の手法で絵に合わせて作っています。

-- ご自身で額縁も作ると、全体をトータルでデザインできますね。

テンペラ画は平面的で、日本画に近いと思います。そのうち遠近法が登場すると、遠近法に合わないテンペラ画の技法は忘れ去られてしまい、現代のヨーロッパにはほとんど継承されていません。今、世界的に見て、卵テンペラの技法を習得している人が多いのは、日本なんです。

-- えっ、そうなんですか。

テンペラ画は日本の琳派りんぱなどに通じるものがあり、日本人の感性になじみやすかったのかもしれませんね。文化って面白いですよね。時代や地域の全く違うものが混ざり合って化学反応が起こるんですから。

-- 時代や国を超えて、響き合うものがあったのでしょうね。

 

テンペラ画との運命の出会いを経て日本の風土に根付かせる

-- 田﨑さんはどのようにして、テンペラ画と出会ったのでしょうか。

絵を描くのは小学生の頃から好きで、描いている時間は楽しかったのですが、美大に入るなどして本格的に学ぶことはありませんでした。成長するにつれて絵を描かなくなり、仕事が休みの日には趣味のスキーばかり。ある時、スキーの夏合宿で行ったスポーツ教室の隣に、教会のアトリエでの絵画教室を見付けて「こんな、少し落ち着いたことをするのもいいかな」と、軽い気持ちで習い始めました。そこが、ベルギー人神父のカルペンティール先生の教室で、初めの2年ほどは石膏デッサンを学びました。取り組んでいると気持ちが落ち着いて、ずっとやっていたいなと感じました。

-- 絵を描く楽しさや安らぎを思い出したのでしょうね。

次に、先生に油絵を勧められたんですが、キャンバス地の質感があまり好きではなくて筆が進まなかったんです。それを見た先生が、ベルギーの伝統的な北方ルネサンスの油絵を教えてくれました。キャンバス地ではなく、板に胡粉などで硬い下地を作ってそこに描く技法で、硬くツルツルした質感が、私の好みに合っていました。

-- 楽しく描くためには、筆を置く先の質感も重要なのですね。

そうですね。その後、素敵な額縁屋さんがあると聞いて、絵に合う額を作ってもらおうと完成させた絵を持っていったら、そのお店でテンペラ画の材料をそろえており文化教室でテンペラ画講座が始まると教えてくれて、石原靖夫先生の教室の一期生になったんです。絵に金箔を使うと聞いて驚きましたが、やってみると新鮮で面白かったです。石原先生は1970年代に東京藝大を卒業後、イタリアの修復研究所でシモーネ・マルティーニの大作「受胎告知」を7年かけて復元模写し、日本にイタリアテンペラを本格的に紹介した方です。

-- その出会いもまた運命的なものですね。

ただ、テンペラ画を続けるかどうか悩んだ時期もありましたよ。理由は二つあって、一つ目は日本の風土に合わないこと。ヨーロッパは乾燥しているので問題ないんですが、日本は湿度が高く、卵が乾ききらないとカビが生えたり虫に食われたりしてしまうんです。でも、硬い下地の質感や、鮮やかな発色は捨てがたい。そこで、麻紙に石膏を塗ったり下地の作り方を工夫したり、使う卵の量を調整したりと研究を重ね、なんとか日本でもやっていけるようにしました。

-- ヨーロッパと日本の気候の違いを、試行錯誤で乗り越えられたんですね。

二つ目は、一枚の絵を仕上げるのに大変な手間と時間がかかること。簡単に誰にでもできるものが喜ばれる時代、表現の仕方もほかにたくさんあるなか、あえてテンペラ画に取り組む意味があるのか、と迷ったんです。でもある時ふと、「今の時代に評価されなくても、面白いならそれでいいじゃない」と思いました。画家になって絵で生計を立てようというわけでなし、やりたいところまでやればいいや、と。テンペラ画を始めて4年目くらいに吹っ切れて、創作に集中できるようになりました。

 

絵画教室の風景

 

手順の絵画に打ち込む「自己満足」な生き方

-- 手間と時間がかかるのは、作業工程が多いからでしょうか。

はい。テンペラ画は、描き始める前に自分で下地を作ります。絵のサイズの号数が決まったのはずっと後の時代です。絵に合わせた大きさの板に、ボローニャ石膏とウサギ膠を混ぜたものを10回以上塗って、完全に乾いたら表面を磨いて。これが結構力がいるんですよ。そこからやっと絵を描き始め、教室での模写の場合は完成するまでには少なくとも1年から1年半。大作なら3年かかることもあります。

-- それは大変ですね。

でも、これだけ時間をかけると下地を無駄にできないから、失敗するまいと気持ちが引き締まりますね。失敗作はほとんどありません。

-- 時間がかかることの良さを感じるのは、どんな時ですか。

テンペラ画を描いている時は、現代にいながら「中世時間」を生きられるんです。現代社会では何でも効率化しようと考えがちですが、下地作りにも工程や乾燥を待つ時間などが多くかかるテンペラ画は、効率を追求していたら完成しません。そういう時間の中にいられるのは、なかなか味わえないぜいたくですよ。美術館に行って絵を眺める時とはまた違う、面白い発見もたくさんあります。テンペラ画に限らず、伝統的なものには、昔のままの時間の流れが残っているのではないでしょうか。

-- そうなのですね。油絵は描いたものの上からさらに塗り重ねたり、描いたものを削り落としたりできますが、テンペラ画は違うのですか。

油絵は、全体像を見て考えながら最終的な帰結点を探していく「思索の絵画」だと私は思っています。一方でテンペラ画は、ある程度完成形を思い浮かべて、頭の中で逆算して、一から手順を組み立てて描いていく「手順の絵画」。描きながらアレコレ考えることはほとんどありません。

-- テンペラ画では、思いがけない作品は出来上がらないということですね。

そうです。私は、会社員時代にプログラマーをしていました。最近気付いたんですが、出したい結果と出発点が決まっていて、分解して逆算していくというプログラムの性質は、テンペラ画と似ているんです。私がテンペラ画にスムーズに入れたのは、プログラミングを経験していたからかもしれません。今の仕事に関係なさそうな職歴や、嫌だったことなど、どんな経験も無駄にはならず、後々生きてくるものだなと感じました。

-- 芸術にもいろいろある中、絵を選ばれたのは、なぜだったのでしょうか。

例えば趣味として洋服を作ると、誰かの役に立つでしょう。それが何となくつまらなくて、誰の役にも立たないことをやりたいと思ったんです。なぜならそういうものは、絶対に飽きないから。それでお金を稼いだり、誰かから評価されたりすることのない、自分だけの世界に浸りたくて。そうやって有用性を排除した、自己満足の結果が絵でしたね。

-- 自分を楽しませたいと思われたんですね。でも、その絵が評判になって、今では画家として活動していらっしゃいます。

画家になるなんて考えたこともなかったのに、今では絵を人にも教えています(笑)。目標を立てたわけでもなく、成り行きで生きていたら、いつの間にかこうなっていました。人生って不思議なものですね。

-- ご自身の人生は、目標を設定して逆算して、というわけではなかったのですね(笑)。

 

 

リアルさや効率と対極の世界観を表現する

-- 田﨑さんは、植物や建物を描かれることが多いのですね。

はい。会社を辞めて絵に専念し始めた頃は、庭に咲く花を描いていました。草花は、見たその時にスケッチしないと、タイミングを失ってしまうんですよ。

-- 今日花が咲いていても、明日は違う姿になってしまいますものね。

そうなんです。庭の花は曲がっていたり虫が食っていたりして面白いんですが、花屋で売っている花はまっすぐそろいすぎていて味がないので、絶対に描きません。次に家の周りの雑草を描き始めたんですが、だんだん住宅が増えて雑草がなくなってきてしまったので、山に登って、小さな花が咲いているような高山植物を描くようになりました。知り合いと一緒に山に登るんですが、頂上まで行かずに途中でスケッチを始めて、帰りに合流するんですよ。北海道の石狩川の土手に生えていた見事な草花をスケッチするために、そばに住んでいる人のお宅に2週間くらい居候させてもらったこともあります。

-- やはり写真ではなく、実際の風景を見て描くことが大事なのですか。

そうですね。自分の目でものを見ないと描けませんし、スケッチは絶対に必要です。その時一番印象に残った、絵画的に面白い瞬間を、時間がなければ殴り描きでも、線一本でもその片鱗を描いておけば、後から思い起こして、家で再現できるんです。

-- 見た風景を、正確に描き残すわけではないんですね。

「絵空事」という言葉があるように、絵というのはリアルでなくたっていいんです。逆にそれが、絵の面白いところ。同じ風景でも、描いた人によって全然違うものになりますし、いくらでも新しい絵が描けますしね。

-- 描いた人を通したからこその良さが出るんでしょうね。海外にスケッチ旅行に行かれたこともあるのですか。

オランダに滞在してスケッチしたことがあります。建物がみんな小さくて、羊やアヒルが身近にいて面白いなと思いました。みんなゆったりと暮らしていて、食べ物も種類は多くないけれど、旬の新鮮なものが食べられるんです。日本とは違う豊かさを感じましたね。短期間でも、旅行ではなく住んでみないとわからないことがあると思います。

-- 作品からも、そのゆったりした時間感覚が伝わるように思います。絵が完成した時はどんなお気持ちなのですか。

筆を置く潮時がいつなのかを見極めるのが大事だと思っています。自分の手を離れたら、もうその絵は自分のものではなくなります。達成感や満足感に浸るようなこともないし、絵を手元に残したいとも思いません。完成した作品に固執せず、自分の頭の中の容量を空けて、次の作品が入ってくるようにしています。

-- 一つの創作が終わったら、さっぱりと新しい創作に向けて気持ちを切り替えるのでしょうね。コロナ禍で、家でできる趣味を始めようかと考えている人も多いかもしれません。絵画を始めることの魅力というのは何ですか?

絵画に限らず、その人が楽しめることに取り組めばいいと思います。どんな分野でも、人に何か伝えたり表現したりする時には、まず自分が好奇心を持って楽しんで取り組むことが大事です。仕事でも趣味でも、それが見る人に伝わって、感動や共感を呼び起こすんだと思います。

-- なるほど。例えば、仕事でプレゼン資料を作るとき、体裁が何となく整っていたとしても、そこに込める気持ちや情熱が薄かったら相手にわかってしまうものですね。

 

田﨑さんの著書『羊皮紙に描くテンペラ画』(目の眼)では、下地作りや描き方、材料などが写真付きで詳細に説明されている

 

テンペラ画の魅力と中世の技法を次世代に

-- 今後、描きたい題材はどんなものですか。

まだ景色を十分に描き切れていないので、まだ行ったことのないイタリアなどの田舎に行って風景画を描きたいと思っています。海外に行けるのは数年先になるかもしれませんが……。自分の体がついていけるように、体を鍛えないといけませんね。

-- 現在、テンペラ画家として作品を作っている方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。

知っている限りでも数人です。模写にはかなりの時間がかかるので、美大などで教えるのが難しいのだと思います。画家として一人前になるには、少なくとも8年はかかりますね。

-- その中から何とか、テンペラ画の技法を継承する方が出てくるといいですね。田﨑さんの美しい作品を見ていると、テンペラ画が途絶えてほしくないと感じます。

たまたま日本でテンペラ画に取り組む人が増えてきているので、何とか日本でテンペラ画の技法を継承したいと思っています。でもやはり、時間もお金もかかるので、若い人が始めるのはなかなか難しいようです。ほかにも、下地の木地や絵具の質の低下や、額縁の木地を作れる職人さんが減っていること、画材の個人輸入が難しくなってきていることなど、問題はたくさんあります。そんななか、まずテンペラ画の魅力を多くの人に知ってもらいたいと、本を出版しました。額縁も含めて作る面白さが伝わり、試みたいと思う人が増えるといいなと思います。

-- テンペラ画を習うには、どうすればよいでしょうか。

独学では難しいですね。初心者は、まずは模写から始めます。先生と一緒に手順通りに時間をかけて取り組めば、作品は出来上がりますよ。長い時間をかけても、一つのことをやり通すのは面白いです。私も、カルペンティール先生や石原先生のように、教室の生徒さんに惜しみなくテンペラ画の技法を伝えていきたいですね。

-- これから美術展などに行く時、絵の見方が変わると思います。本日は、ありがとうございました。

 

と   き:2021年3月2日

と こ ろ:東京・日本橋の当社東京支社にて

 

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