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[vol.1] 奥ヒマラヤのヤクのキャラバンに同行する

三洋化成ニュース No.538

[vol.1] 奥ヒマラヤのヤクのキャラバンに同行する

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2023.06.05

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文・写真=探検家 関野吉晴

道程の半ば、ポクスンド湖を通過するキャラバン

旅程:2000年8月~11月 ドルポ地方(ネパール)

 

厳しい荒れ地の生活に息づく祈り

ヒンドゥー教徒の多いネパール南部から、北のドルポ地方に入ると、村の景観が大きく変わる。村の出入り口や高台にはチュルパ(仏塔)がいくつも立っている。経文を彫り込んだマニ石がいくつも積み上げられた塚が村のあちこちにある。また川のど真ん中の大きな岩にも大きく経文が彫り込んである。どの家にも、経文や馬の絵が印刷された5色の布からなる旗(タルチョ)がはためいている。仏教一色の世界が広がっている。

この地で最も慕われているのは僧だ。村の人口に対して僧院や僧の割合が極めて高い。アムチ(チベット医)も僧が兼ねる。薬草やはり、呪術を使って、村人を診療している。

北ドルポの人々は、昔チベットから移住してきた。森林限界より上の荒れ地での適応は困難を極めたと思うが、さまざまな工夫によって生き抜いてきた。隔絶された世界だったため、本場チベット以上に伝統的チベット文化が今も生き続けている。

この荒れ地で生き抜いていくために交易と移牧がある。また信仰が彼らの暮らしを支えている。農作物の不足、家畜の餌である草の不足、困難な交易の旅でのアクシデントなど、運不運が彼らの暮らしを支配している。不運が襲わないように、またより良き来世を求めて、彼らは祈り続ける。

チベット仏教最大の聖山カンリンポチェ(カイラス山)に巡礼に来た、母と娘の信者

 

北ドルポのナンコン谷では、9月中旬から大麦の収穫が始まっていた。黄金色の穂が風になびいているのを見ると、豊かな村に見える。しかし、ここでは村人は慢性的な水不足に苦しんでいる。ほとんど木も育たない。降った雨は、大地の中に蓄えられる前に流れ去ってしまう。水が不足しているので、現在以上に畑を増やすことができない。どうがんばっても半年分の作物しか取れないのだ。

収穫の風景を見ていると、彼らがいかに麦の一つひとつを大事にしているかがわかる。落ちこぼれた穂も、一つひとつ丁寧に拾い上げていく。

穂をとった後のわらも大切だ。冬の間は雪が降るので、草が見えなくなる。その間の羊やヤギの餌として重要なのだ。

穀物の不足分は、チベット系民族が得意としている交易によって補っている。この村から1日でチベットとの国境に着く。その北にはチベット高原が広がっている。塩湖の多いチベットでは、安い塩がたくさん手に入る。この塩をヤクの背に乗せ、キャラバンを組んでヒマラヤの南側まで運び、とうもろこしと交換する。北ドルポの人たちは、ヒマラヤの北と南を行き来することで生計を立てているのだ。

ナムド村の家の周囲に麦やそばの畑が広がっている

 

交易のため、険しい道をゆくヤクのキャラバン

幼い子の面倒は姉が見るのが通例

 

キャラバンの出発はチベット暦の9月17日に決まった。村人のほとんどがその日に出発することになった。

同行したラプケー一家は14頭のヤクを連れ、そのうち7頭に450キログラムの塩を乗せていく。残りのヤクには食料や鍋釜、テント、衣服を積んでいく。キャラバンの行程には2週間ほどかかる。険しい道が続き、5000メートル以上の峠を三つ越えなければならない。キャンプ地に着くと、燃料となるヤクのふんや枯れた低木を集める。ヤクの背に積んできた荷物で風よけを作り、食事を作り、テントを張って寝る。荷物を外したヤクは、山の上に放して餌を食べさせる。朝になると山に登ってヤクを探し出し、集める作業が大変だ。

村を出てから16日目にカリブンに着いた。商談は、まず村長同士の交渉で交換レートを決めてから個別に行われる。

この年のヒマラヤの南で、とうもろこしの収穫はあまり良くなかった。豊作ならば塩を高く買ってくれるのだ。さらにマイナス要因として、数年前からインド製のヨード入り塩が浸透してきている。値段も安い。しかしチベットの塩のほうが家畜には良いということで、いまだに商売になっている。彼らはしたたかな交易民だ。チベットの塩が売れなくなっても、代わるものを探して生き抜いていくことだろう。

お湯で顔を洗うラプケー家の姉妹

 

旅を通して成長する少年

10歳のペマ・アンジェンは、ヒマラヤ越えのキャラバンに参加するのは6回目だが、ヤクの世話を手伝うのは初めてだ。ヤクの背に荷物を載せる前に、暴れたり、動いたりしないように前足を縛る。彼はこの作業を難なくこなす。

次にくらをつけなければならない。角のないヤクに鞍をつける時は得意げに、きっちりとする。このヤクはやや小型なので、背の低い彼でも扱えるのだ。角で突かれることもない。次に角の付いた、大きなヤクに鞍をつけようとする。鞍を縛り付けるロープを向こう側に垂らし、腹の下を通して、こちら側で結ばなければならない。垂らしたロープをこちら側に持ってくる作業が彼にとっては鬼門なのだ。

大人ならば長い手で難なくロープに手が届く。ところが、小さな彼はヤクの腹の下に潜り込まなければならない。先日この作業をしている時、彼はヤクに顔を蹴られて大泣きしたのだ。その経験があるために、ヤクの腹の下に潜り込むのが怖いのだ。

そこで、ヤク追いで名誉挽回を目指す。投石器を扱う姿は一人前だ。時々、石を投げつける。休んだり、横を向いたり、列からはみ出してしまったヤクの尻に向かって投げる。うまく命中すれば、ヤクは驚いて前進する。彼は小学校に通っているが、旅によってより成長しているような気がした。

ヤクに荷を縛り付けるペマ・アンジェン

 

 

関野 吉晴〈せきの よしはる〉

1949年東京生まれ。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千kmの行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。南米最先端ナバリーノ島を出発し、10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」は2004年7月にロシア・バイカル湖を出発し、「北方ルート」「南方ルート」を終え、「海のルート」は2011年6月13日に石垣島にゴールした。

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