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[vol.3] 漂海民バジョと暮らす

三洋化成ニュース No.540

[vol.3] 漂海民バジョと暮らす

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2023.09.14

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文・写真=探検家 関野吉晴

家船で家族の記念撮影

 

旅程:2009年4月~2011年2月インドネシア、フィリピン、マレーシアに囲まれたスールー海

 

サンゴ礁の海に暮らす平和の民

生活感のある家船。漁師の船でないことがすぐわかる

 

私が仲間と手作りのカヌーでインドネシアから日本に向かっている時、ボルネオ島の東側の海を通った。すでに太陽は海に沈みかけ、近くには村の明かりも見えなかった。

いつものようにサンゴ礁の上にいかりを下ろそうと思って場所を探していると、何そうかの船が止まっているのが見えた。寄っていくと、船には女性や子どもたちも乗っていた。洗濯物が見え、魚が干してあった。漁をするための船と違って、生活感がある。私たちが到着すると、向こうから近寄ってきた。彼らこそ、私がずーっと会いたいと夢見ていた漂海民バジョだった。

インドネシア、フィリピン、マレーシアに囲まれた海に、バジョという漂海民が住んでいる。漂海民とは、海に住み、海を移動し、魚や貝、カニ、ナマコ、エイなどを捕って生きている人たちだ。主にサンゴ礁の海に暮らしている。

きれいな海はとても静かで、波が荒れることはめったにない。昔は、船に屋根を付けて生活できるようにしたぶねに暮らすバジョもたくさんいたが、今はほとんどの人が沿岸部や海の上に家を建てて住んでいる。わずかなバジョだけが、今も家船で生活している。

バジョの人々は、争いが嫌いだ。武器を持たない。バジョの住んでいる地域には、昔いくつかの王国があった。バジョは軍隊をつくらず、王に自分たちの身を敵から守ってほしいと頼んだ。守ってもらう代わりに海で魚や貝を捕って差し出したり、船をこいで働いたりした。王国同士の戦争や反乱が起こると、家船を動かしてさっさと別の地に移動し、そこで平和な国の王に助けを求めた。身勝手な王や財産のために、無駄な血を流すことはない。そうやって、今までしたたかに生き延びてきた。

バジョはお腹がすいたら、船から釣り糸を垂らせば魚が捕れる。少し海に潜ってもりで突いても魚が捕れる。潮が引けばシャコガイやウニが捕れ、浅瀬にはおいしい海藻が波に揺れている。いつでも食べ物が手に入るので、飢えることは決してない。将来の心配をしないでいいので、生活を切り詰めて貯金をする必要もない。自分たちの手で作った家船は静かで快適だ。ここはまるで、竜宮城に住んでいるようだ。

 

ビガガ家の子どもたち

家船の中、くつろぐビガガ一家

 

ビガガの家船に居候させてもらった。ビガガの長男、ムスターファは12歳。活動的で、賢そうな顔立ちをしている。日本の同じ年頃の子よりも小柄だが、ムスターファなくしては家族が困るほど働き者だ。10歳で出会った頃は船にたまった水抜きやまき集め、シャコガイ捕りなどの簡単な仕事を割り振られていた。その2年後にはもう大人の男たちの仲間入りをしている。釣りの名手で、毎日食べる魚のほかにも豪華な魚を釣り上げる。それを生かしておいて売るために、その魚の餌も釣る。網を張る手伝いもできるし、大きなわなで大きなシャコを捕る名人でもある。明るいうちに船にいることはめったにないほどの活躍ぶりだ。

大きなシャコをわなで捕ったムスターファ

 

長女インティライニはいつもニコニコしていて、よく歌っている。ここでは肌が白いことが美人の条件なので、インティライニも肌の手入れには気を使っている。米の粉に植物の汁を混ぜたものを顔や首筋に塗って、日焼け止めをするのだ。

女性はみんなおしゃれで、狭い家船の中にたくさんの服を持っている。髪型も、女性同士で研究しながら整える。インティライニは15歳だが、もう父親が決めた婚約者がいる。親が結婚相手を決めるのは、バジョでは珍しいことではない。インティライニも相手を気に入っている。

おしゃれをして小舟に勢ぞろい

 

満ち足りて生きる海の博物学者

漁の帰り道、見事な夕景になった

 

自然とともに生きているバジョは、月の動きに合わせて暮らしている。月は夜の明るさだけでなく、潮の満ち引きも決めるからだ。結婚式などの行事も満月の前後に行う。彼らは月に寄り添って生きている。月の大きさを表す言葉もたくさんある。コンパス、GPSを持たないため、航海の方角を決める時にも、月と太陽と星が大事な目印になる。

ビガガたちは、サンゴ礁のどこに行けばどんな生き物がいて、それがどのような動きをするのか、博物学者もかなわないほど、とてもよく知っている。人から教えてもらったり、経験によって得たりした、生きた知識だ。私たちのように都市に住む者は、複雑な機械とたくさんの情報に囲まれ、自分たちは優れていると勘違いしている。しかし、その機械と情報をバジョの世界に持っていっても役に立たない。人々は、そこで生きていくために必要な最高の知識と知恵を持っている。

世界中の人々が、テレビコマーシャルなどにあおられて、欲望のとりこになっている。「あれが欲しい」「これが欲しい」という行き過ぎた欲望が、私たちの地球に大きなダメージを与えている。

しかし家船に住むバジョの持ち物は多くない。テレビや洗濯機などの電化製品はなく、夜は灯油ランプがともるだけ。台所周りには、炊事道具と1週間分の砂糖、調味料、香辛料、水のみだ。漁に使う道具もあるし、おしゃれなので服も化粧品もあるが、家族全員分を合わせても一艘の家船に入る量だ。それでも彼らを見ていて、貧しいと感じたことはない。欲望に取りつかれずに、満ち足りて生きているからだろう。

シャコガイを干すビガガの妻

 

捕ったサメを解体するために引き上げる

 

関野 吉晴〈せきの よしはる〉

1949年東京生まれ。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千kmの行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。南米最先端ナバリーノ島を出発し、10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」は2004年7月にロシア・アムール川上流を出発し、「北方ルート」「南方ルート」を終え、「海のルート」は2011年6月13日に石垣島にゴールした。

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