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三洋化成ニュース No.548
2025.07.11
完成したカヌー
旅程:2008年4月~6月 日本・千葉県、岩手県、東京都、奈良県、和歌山県。2008年7月~2009年1月 インドネシア・スラウェシ島
6万年前、アフリカを出発したホモ・サピエンスは、世界中に拡散していった。この壮大な旅は、単なる地理的な移動にとどまらず、人類の歴史と文化を形成する重要な要素となった。新大陸やオセアニアに向かったグループもあれば、日本列島にたどり着いたグループも存在した。彼らはどのようにしてこの島々に到達したのか。そして、その過程で何を学び、どのような技術を駆使したのだろうか。
人類が日本列島にやってきた経路は多様であり、主に三つのルートが考えられている。北方ルートはシベリアやサハリンを経由するものであり、中国や朝鮮半島からのルート、そして海を渡る南方ルートがある。私は、最初の二つのルートを徒歩や自転車、スキー、カヤックなど人力によってたどったが、最後の海洋ルートが特に興味深かった。先史時代の人々は自然から素材を集め、自らの手で道具を作り、舟を作って海を渡ったのである。この過程には、自然との深い関わりと技術の進化が詰まっている。その当時の人々に思いをはせ、私たちは当時と同じように手製のカヌーで海洋ルートを渡るプロジェクトを立ち上げた。
舟作りのためには、さまざまな工具を作る必要がある。斧やナタ、ノミ、チョウナといった基本的な工具が求められる。日本には古くから続くたたら製鉄の技術が残されていた。この製鉄法を用いれば、優れた日本刀を作ることができるが、近代の製鉄所で作られた鋼ではなく、自然素材を使用しなければならない。具体的には、砂鉄120キログラムを集め、炭300キログラムを焼くことが必要であった。
私はこのプロジェクトを進めるため、東京工業大学(現・東京科学大学)の永田和宏さんの指導を受けた。彼からは、江の島や湘南の砂鉄は不純物が多いので避けるよう指示され、九十九里海岸で砂鉄を集めることにした。3日をかけて集めた砂鉄は、プロジェクトの第一歩となる重要な素材であった。
左:九十九里海岸で砂鉄を集めるために協力してくれた複数の大学の学生たち
右:武蔵野美術大学で炉を作って行われた、たたら製鉄
そして、炭を焼く工程が待っていた。東京近郊の杉はすぐに燃えてしまうため、岩手の松を使うことが望ましいとのこと。そこで、岩手まで出かけ、炭焼き名人の指導を受けながら、300キログラムの木炭を焼く作業に取り組んだ。この過程で、鉄の歴史が森林伐採の歴史と密接に関連していることに気付かされた。自然を利用し、同時にその持続可能性について考えさせられる経験であった。
刀鍛冶がケラをたたいて玉鋼にする
たたら製鉄の準備が整い、武蔵野美術大学の金属工芸研究室の工房にれんがで炉を作り、炭と砂鉄を交互に足していく。4人一組でふいごを踏みながら、6時間の作業を4回繰り返し、ケラという鋳物のようなものが20キログラムできあがった。この後、奈良県の刀鍛治、河内國平さんに鍛えてもらい、約5キログラムの玉鋼が完成した。刀鍛冶は刀しか作らないので、最後に和歌山県で野鍛冶の大川治さんに斧、ナタ、ノミ、チョウナにしてもらった。
自然の素材で作った道具を携えて、いざカヌーを作らんと、意気揚々とインドネシアのスラウェシ島へと向かった。
スラウェシ島は、ボルネオ島の東に位置し、木造船作りが盛んな地域である。300以上の民族が共存しているなかで、特にマンダール人は木造船作りに長けていることがわかった。彼らは木を切る際には周囲の精霊に供物と祈りを捧げる儀式を行った。儀式中に何か唱えているようだった一人に後で聞くと、伐採する木の精霊たちに、他の木に移動してくれるように頼んでいたと言った。
カヌーに使う大木を切り出すために組んだ足場で木の両側から斧を振るう
木を切る際には、両側から斧で切り込みを入れる。大木がミシミシと音を立てながら倒れる瞬間は、自然の力を実感させるものであった。このプロセスは、クロード・レヴィ=ストロースが述べた「ブリコラージュ」の概念と非常に関連が深い。彼が言うように、先史時代のもの作りは、ありあわせの道具や材料を用いて自らの手でものを作ることで成り立っていた。カヌー作りもまた、設計図もなく、頭のなかで形を描き出していく作業であった。
カヌーには、周囲の素材を最大限に活用することが求められた。
帆はポリネシアではパンダナスを編んで作られるが、インドネシアではラヌというヤシの葉が伝統と機能を備えた優れた素材であることがわかった。ラヌによる布作りは、地域の伝統技術を尊重し、協力してくれる家族がいたことで、30年ぶりに再現できた。また、帆の塗装にはサンゴを利用する古い方法があったが、環境への配慮から新たな素材を探求する必要があった。隆起サンゴを利用して化学反応を応用することで、先史時代の人々が知っていた技術を再現することができた。このように、自然との共生を通じて学び続けることが、私たちのプロジェクトの核心であった。
左:大木を削ってカヌーを作る
右:ラヌの繊維を編んでカヌーの帆に
ロープ作りには、地域の知恵を生かしてイジュックやココナッツの繊維が用いられた。
樹齢数百年の大木から作られたカヌーにアウトリガー(カヌーから左右に伸ばす転倒防止の支え)を付ける仕上げの作業は実際に航海するクルーだけでやるのが習わしだという。その作業を通じて、チームの結束、信頼感を高めていくのだ。船大工の協力を得て、手作業で丹念に作り上げたカヌーには、先人たちの技術や知識が凝縮されている。
このようにして完成したカヌーは、4700キロメートルの航海に出て日本に向かうことになる。期待と不安が交錯するなかで、私たちは自然との共生や地域の文化を尊重しながら、このプロジェクトを進めてきた。次回は3年間かけた波瀾万丈な航海についてお伝えする。
1949年東京生まれ。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千kmの行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。南米最先端ナバリーノ島を出発し、10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」は2003年にシベリア、サハリン経由の北方ルートから始め、中国から朝鮮半島経由のルートを終え、最後に海上ルートは2011年に石垣島にゴールした。