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[vol.4] 極北シベリアのトナカイ遊牧民とトナカイ橇の旅

三洋化成ニュース No.541

[vol.4] 極北シベリアのトナカイ遊牧民とトナカイ橇の旅

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2023.11.14

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文・写真=探検家 関野吉晴

トナカイとともに暮らすコリャーク族の子どもたち

 

旅程:1999年2~6月 ロシア カムチャツカ地方、コリャーク自治管区

 

遊牧民から学ぶトナカイ橇の操縦

トナカイの群れ。ミキノ村の人々は夜中にトナカイを山に放ち、明け方にキャンプ地や家の近くに連れてくる

 

私は、一度トナカイそりに乗って旅をしたいと思っていた。それは1999年の冬に実現した。

極北シベリアのトナカイ遊牧民、コリャーク族のキャンプ地に着いた。トナカイが集まってくると、リーダーのアナトリさんが橇の扱い方を特訓してくれた。トナカイの体は思ったより小さい。西シベリアではトナカイに乗るが、そこのトナカイの体は大きいという。極北シベリアのトナカイに乗るのは無理だ。トナカイ橇は思ったより操縦性が良かった。1台の橇を2頭のトナカイが引く。ハーネスをたすきがけにして、橇とつなげる。首には手綱がかかっていて、馬と同じように引っ張ったり、緩めたりして進む方向を指示する。慣れてくると微妙なコントロールができるようになった。

むちはトナカイ橇独特のものだ。細い、150センチメートルほどのしなやかな枝の先に、セイウチの牙やトナカイの角で作った三角形の針が付いている。むちを振るって、その針先がトナカイの右脚の付け根に当たるようにする。一瞬、ぐーんと、スピードが増す。トナカイの視野は馬と同じように広い。前方に走りながら、後方も見える。いったんむちで右脚の付け根を叩くと、次の数回は、むちを振り上げて叩くまねをするだけで、トナカイは奮起して逃げるようにしてスピードアップする。

トナカイ橇の扱い方を習う筆者

 

特訓が終わって、いよいよトナカイ橇の旅が始まった。600頭のトナカイの群れを率いての旅だ。私は1台の橇を任された。

急な上り坂では、トナカイの負担を軽くするために橇から降りて歩く。急な下り坂が厄介だ。橇には、太さ1センチメートルほどのJ字状の先をとがらせたブレーキが付いているが、なかなか上手に扱えない。雪が軟らかければ乗り手の脚の裏もブレーキに使えるが、硬いとどうしても橇のほうがトナカイより速くなり、橇をトナカイの脚にぶつけてしまう。手綱などのひもが緩み、トナカイの脚に絡まる。状況によっては橇から降りて歩くほうが良い。

オホーツク海に出た。海は凍っていた。凍った海の上を走る。海岸と乱氷帯の間は比較的平らなので、思い切ってスピードが出せる。凍ったオホーツク海の上をトナカイ橇で走れるとは思っていなかったので、気が高ぶった。このまま方向を変えて走り続ければ、日本に行ってしまうのではないかなどと妄想しながら走った。実際、ここからバイカル湖やアンカレッジに行くよりも、日本のほうが距離的には近いのだ。

 

トナカイの赤ちゃんが生まれる春

オホーツク海から再び陸に上がり、ゴールのウスチパレン村に着いた。アナトリさんから、ミキノ村の放牧地に遊びにくるように言われた。

「四季を通じて一番好きな季節はいつですか」とみんなに尋ねると、全員が「トナカイの赤ちゃんが生まれる春ですよ。その季節は魚も捕れ、動物たちも動きが活発になり、南に行っていた渡り鳥も帰ってきます。狩りにも最適な季節ですからね」と口をそろえて言う。

出産のピークである4月下旬、再びトナカイ遊牧民のキャンプ地に戻った。ちょうど冬営地から、彼らの本拠地であるミキノ村に向かっている時期だった。トナカイの群れのすぐ横に、ストーブ付きのキャンバステントを張る。子トナカイにとっては、オオカミだけでなくキツネやカラスなども脅威になる。昼夜を通して、外敵から子トナカイを守らなければならない。いつもはトナカイを群れで見ているが、この季節は母子トナカイを個別に世話しなければならない。注意しないと、大人のトナカイが子トナカイを踏み殺してしまうこともあるという。

トナカイの出産を見た。まず前脚2本、それから頭が出てくる。それからは、少し時間がかかる。母トナカイは立ち上がったまま、狭い範囲を動き回る。やがて子トナカイが地面に産み落とされる。子トナカイはすぐには立てない。母トナカイはまだぬれている子をなめる。そのうちに子トナカイは前脚を突っ張って立ち上がろうとするが、体を支えきれず、よろけて倒れる。母親は子の匂いをいだり、なめたりしていたが、自分の産み落とした胎盤を食べてしまった。

1時間後、子トナカイがようやく立ち上がった。母親は子トナカイから少し離れる。子トナカイは付いていこうとするが、よろけて倒れる。やっとのことで追い付くが、母親は再び歩く。その距離を少しずつ伸ばしていく。4〜5時間も経つと、子トナカイは自由に走り回っていた。

生まれて間もないトナカイの赤ちゃんをなめる母トナカイ

 

厳しい生活環境下 手を差し伸べ合ってともに生き抜く

アナトリさんたちの住居。家から家へ移動する時は、テントを張る

 

冬営地を移動する直前、50キロメートル離れたウスチパレン村から女性が二人やってきた。海岸部では、今年は寒さのために魚もアザラシも捕れない。トナカイの肉が欲しくて、ここまで雪道を歩いてきたと言う。

放牧地では、早速トナカイを殺すことになった。今回は銃で射止めた。投げ縄を使うとトナカイが動き回り、子トナカイが踏み付けられる恐れがあるからだ。トナカイを解体すると、半分は自分たちの分、残り半分を女性たちに譲った放牧地のリーダーであるアナトリさんは「いつも助け合って暮らしているのですよ。彼らがたくさんのアザラシを捕った時は、私たちが譲ってもらうのです」と言う。

アナトリさんたちの夢はトナカイを増やすことだ。しかし、オオカミが増えるとトナカイは増えない。トナカイ遊牧民たちはトナカイを飼うだけでなく、オオカミ狩りをし、魚を捕る。主なたんぱく源を狩猟や漁労で調達することによって、トナカイは食べないようにしているが、野生の肉や魚が手に入らない時は、トナカイを殺さなければならない。本当はトナカイを売って、現金収入にしたいのだが、ほぼ自給自足で、暮らしていくのがやっとだ。苦しい暮らしでも、さらに苦しい立場の人には救いの手を差し伸べるアナトリさんに「優しさと強さとどちらが大切ですか」と尋ねると「もちろん優しさのほうが大切ですよ。強さはそれだけでは何の役にも立ちません」ときっぱりと言った。

苦しい環境のなかで人々は協力し、自然とも調和を取り、超自然的世界に対しては、おそれ、祈りながら、到底生きていけないように見える土地でしっかりと生きていた。

トナカイ橇を操縦している、コリャーク族のボリスさん

 

コリャーク族の女性はおしゃれで、
ビーズなど華やかな装飾のある衣装を身につけている

 

関野 吉晴〈せきの よしはる〉

1949年東京生まれ。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千kmの行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。南米最先端ナバリーノ島を出発し、10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」は2004年7月にロシア・アムール川上流を出発し、「北方ルート」「南方ルート」を終え、「海のルート」は2011年6月13日に石垣島にゴールした。

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