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[vol.4] 「黒い巨塔」作戦

三洋化成ニュース No.541

[vol.4] 「黒い巨塔」作戦

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2023.11.14

楠木 建

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自分にとっての幸せは何?

世の中、幸せになりたくない人というのはまずいません。幸福の希求、その1点では人間は共通しています。ただし、幸せの内実は主観の極みです。ある人にとっての至福が、別の人にはとんでもない不幸になる。みんな同じで、みんな違う――幸せの面白いところです。

大学医学部の権力闘争を描いた山崎豊子『白い巨塔』。何度も映画やドラマになっているのでご存じの方も多いと思います。大学教授の地位と権力を求めた権謀術数の物語。前提は 「幸せ=出世」 です。主役の財前五郎は大学での立身出世を求めて闘争に明け暮れます。それを阻止しようとする人々、自分の利得のために便乗しようとする人々が入り乱れて、仁義なき戦いになります。

僕が直面している問題はむしろ逆でありまして、いかに偉くならずヒラ教授にとどまるかという闘争です。これを私的専門用語で「黒い巨塔」と言っています。財前教授のように白い巨塔の頂点に君臨するのが幸せだという人もいれば、僕のように黒い巨塔の底辺にいるのが幸せだという人もいる。これこそダイバーシティー。

 

脳内参謀本部会議でやりたい仕事について考える

僕は学部長や研究科長はもちろん、あらゆる管理職に就きたくありません。僕にとってあからさまな不幸だからです。そういう仕事をしたくないから、現在の仕事を選んだわけです。経営管理職になれば何のために大学教師になったのかわからなくなってしまいます。そもそも向いていません。リーダーシップがないことにかけて、僕には絶対の自信があります。

ただし、です。大学も組織。年を重ねるにつれてそういう役回りを期待されるようになってきました。回避するには何かの対策が必要になります。早速、脳内参謀本部で会議を招集。活発かつ率直な議論が行われました(出席した参謀は全員僕)。参謀本部の結論は、この際大学を辞職するべきというものでした。ヒラ社員の立場で自分のスキなことをやっていたい――これは客観的にはタダの無責任です。定年退官までわがままを通すのにも無理がある。いっそのこと大学を辞めてしまえば、運営や管理の仕事から全面的に解放されます。

ただし、問題が一つあります。それは講義をする場を失ってしまうということ。自分の考えを人様に提供して何かの足しにしてもらうという僕の仕事にとって、大学での講義は考え事提供の重要なチャネルです。

さて、どうしたものかと思っていたところ、ある参謀(もちろん僕)が名案を持ってきました。大学には寄付講座という仕組みがあります。企業から寄付金を頂戴ちょうだいして、僕が教えている「競争戦略」を寄付講座として設置する。僕はいったん一橋大学を退職して、寄付講座の「特任教授」というポスト(契約社員のようなもの)に移る――芸者が旦那に置屋から水揚げしてもらうようなものです。

そうすれば大学に寄付金が入ってくるだけでなく、教授のポストも空いて、新しい優秀な人を採用できる。僕は管理職の仕事から解放され、デカい面をしてヒラの一兵卒として前線業務(寄付講座を引き受けるだけで、後は自由に自分がやりたい研究をする)を続けられる――三方良しの名案です。

 

スキな仕事にフォーカスし自分なりの競争戦略を

早速「黒い巨塔作戦本部」が(僕の脳内に)設置されました。で、作戦本部が総力を挙げて3日ほど飛び込み営業を展開したところ、寄付講座を設置してくださるという実に気前のイイ会社を発見。めでたく32年勤めた大学を2023年の3月に退職し、4月から寄付講座の特任教授に就いています。

これからは教授会、委員会、会議、外交、人事、評価、教務管理、あらゆる管理業務をやらなくてイイ。だからといって、何か新しいことに挑戦しようというつもりは毛頭ございません(余の辞書に挑戦の文字はない)。単純にやる仕事の種目を減らすだけ。フォーカスこそ戦略の基本。自分のスキな仕事に集中します。給料はフルタイムの教授職の半分に減りますが、それはこの際どうでもイイ。

競馬に例えれば、第4コーナーを既に回って仕事生活も最後の直線。うっすらとゴールが見えてきました。残りの直線を迷わず走り、僕なりの競争戦略論を完成させたいと思います。

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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