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[vol.6] 人気と信用

三洋化成ニュース No.543

[vol.6] 人気と信用

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2024.04.11

楠木 建

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人気は一時的なもの 最後に残るのが信用

仕事にとって一番大切なものは何か。僕の答えは「信用」です。昔から「信用第一」といいますが、本当にその通り。信用第一は不変にして普遍の原理原則です。

信用とは何でしょうか。それが何かを考える時、僕はまず対概念――それではないもの――を考えてみるようにしています。対概念がない概念はありません。信用の対概念は何か。それは「人気」です。このことは僕が私淑している昭和の大女優で名文筆家、高峰秀子さんの本で学んだことです。

高峰さんは信用と人気をはっきり区別しています。需要がないと仕事にはならない。ただし、その需要は決して人気であってはいけない。女優は文字通り人気商売です。凡百の女優は人気を求める。人気があるうちは、周りが何でも言うことを聞いてくれる。全能感にとらわれ、何でも思い通りになるような気になる。しかし、人気はあくまでも一時的なもの。最後に残るのは信用しかありません。「この人だったら期待に応えてくれる」「この人が出ている映画だから大丈夫だ」――これが信用です。映画出演でも本の執筆でも、高峰さんは仕事生活の根底に信用を置いていました。

 

長い時間をかけて少しずつ信用を積み重ねる

人気と信用の違いは、時間軸で考えてみるとはっきりします。「人気取り」というように、人気はいま・ここで取りにいくものです。時間的な奥行きがありません。一方の信用は、目先にあるものを取るように獲得するわけにはいきません。長い時間をかけて少しずつ積み重ねていくものです。振り返った時に気付いてみたらそこにある、というのが信用です。一夜にして成功を収めるには20年かかるものです。

考えてみると、マスプロモーションを一切しないというのが商売の究極の姿なのかもしれません。今時の大きなローファームは立派な事務所を構え、ブランディングに余念がありません。個人向けの弁護士事務所も、電車のサイネージに広告を出したり、テレビでCM を流したり、熱心にプロモーションをしています。ところが、僕が尊敬しているある弁護士の事務所にはホームページがありません。彼は「弁護士がマーケティングを始めたら、その時点で終わり」と言っています。本当に仕事を依頼したいのであれば、住所や電話番号を自分で調べて、向こうからやってくるはずだ――言われてみればその通りです。信用さえあればお客様のほうから来る。そして、仕事を引き受けた以上は決して期待を裏切らない。

 

信用を獲得するには、まず相手に得をさせること

そもそも人気と信用はベクトルの向きが異なります。人気は自分を向いています。人気があればちやほやされる。ちやほやされれば自分がイイ気分になれる。利を得るのは自分です。これに対して信用は自分以外の他者を向いています。信用は自分の外にいるお客様の中に形成されるものです。まずは相手に利得を与えなければならない。相手にたっぷり得をさせた後で自分が得をする。これが仕事の正しい順番です。

信用第一を原理原則とする仕事には、人間を錬成し成熟させる作用があります。信用を獲得するには行動に規律がなければなりません。約束を守る、相手の立場に立って考える――自然と人間が出来上がっていきます。

人間は社会的動物です。ほとんどの人は、多少なりとも社会と折り合いがつかないと生きていけません。まともな人でないと相手にされない。社会的状況に置かれると、人間は相対的にまともになります。まともに振る舞うことを社会が強制すると言ってもいい。

逆に言えば、社会との関わりが限定されている子どもはだいたいワルです。自己中心的で自己利益ばかり考えている。人をだましてでも目先の利益を追求する。しかし、社会に出ればその調子ではやっていけない。やがて現実を思い知らされる。こうして人は大人になります。

仕事には自然と人間を教育する面があります。これが世の中の、まあまあうまくできているところです。

 

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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