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[vol.2] コケときのこの共演 北海道・雄阿寒岳南麓のきのこの森

三洋化成ニュース No.509

[vol.2] コケときのこの共演 北海道・雄阿寒岳南麓のきのこの森

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2018.07.11

森のオアシス

ヒメカバイロタケ

朽ちて一面コケに覆われた倒木から発生したヒメカバイロタケ。傘の直径は2㎝、高さは3~4㎝ほど

その場所を見つけたのは偶然だった。ある初夏の早朝、雄阿寒岳南麓に位置する小さな沼を訪れた時のことで、10年以上も昔の話だ。林道脇のスペースに車を停め、踏み跡程度の小径を5分ほど歩くと沼に至る。きのこが少なかったので、沼からとんぼ返り。もと来た道を戻るのも芸がないと思い、脇にそれて笹やぶの中に突入した。しばらく歩くと、突然、笹やぶが途切れ、樹種がミズナラなどの広葉樹からトドマツに変わった。

言葉を失って、しばし立ち尽くした……。

コケ、コケ、コケ……。

目の前の林床が、隙間なくびっしりとコケに覆われているのだ。広さは100平方メートルほど。大小さまざまな岩が重なり合って、沢のような地形になっている。周囲の林床がほぼ笹に覆われているだけに、コケの緑がひときわ鮮やかで美しい。

沢地形の一番低い場所に、エゾシカの獣道があり(ヒグマの足跡も!)、それをたどれば、コケを踏み荒らすことなく先へ進むことができる。

大きな岩のそばで立ち止まり、改めて周囲を見回すと、全てが緑のコケで覆われており、まるで水の底にいるかのような錯覚に陥った。

コケの海だ!

岩と岩の隙間から吹き出した冷気が、朝日に照らされて白いもやとなって浮かび上がる。初夏なのに肌寒い。

清楚にして幽玄、侘び寂びすら彷彿させる、自然がつくり出した素晴らしい光景に、写真を撮るのも忘れて見入っていた……。

 

ウスキモミウラモドキ

ウスキモミウラモドキの「視線」から、森を眺める

阿寒湖周辺は溶岩や軽石が多い火山地帯なので、森林の形成にはコケや地衣類などの存在が欠かせない。岩の上を覆ったコケや地衣類が土壌の役割を果たし、不安定な岩の上でも、長い年月を経て、マツなどの樹木が育っていく。

きのこや粘菌やコケが大好きな「隠花植物」ファンとしては、どうせ最期を迎えるなら、こんな場所で、コケに包まれ、きのこに分解されたい、と本気で思うのだ。

コケの森は、きのこの森

 

サナギタケ

コケとシダで覆い尽くされた根株に冬虫夏草のサナギタケを発見

コケに詳しい人を、このコケの森に案内したところ、わずか1時間ほどの間に、20種類以上のコケが同定できた。よく見るとコケは本当に多種多様で、ルーペで観察すると、葉や茎の造形の妙に改めて驚かされる。世に、コケファンが多いのも当然だ。

しかし、そんなに素晴らしいコケの世界を目の当たりにしても、ぼくは、やはり、きのこを探してしまうのだった……。

きのこのなかには、菌根という器官を通じて地中で木の根とつながり、樹木と互いに栄養のやりとりをして共生している菌根菌というグループがあり(植物の多くは菌根菌と関係している)、コケと共生関係にあるきのこも少なくない。

そう、このコケの森は、阿寒でも有数の、きのこの森だったのだ。今に至るまで、何十回通ったかわからない。

目が慣れてくると、コケの間の至る所に、きのこが生えているのに気付く。多く見られるのは、コウバイタケ、オウバイタケ、ベニカノアシタケなど、主にマツの葉を分解する、傘の直径が1センチメートルにも満たないとても小さなきのこたち。傘や柄の色合いが美しく、形状も非常に整っていて、ルーペを使って観察すると、感動もひとしおだ。そして何より、コケを背景に小さなきのこたちを撮影すると、写真的にすごく相性がいい。

この辺りは、寒冷な気象条件、そして火山地帯という地質的、地形的条件も、木々が大きく太く生育するにはなかなか厳しいエリアなので、枯木や倒木がたくさんあり、腐った木を分解するタイプのきのこ、いわゆる木材腐朽菌も多く見られるのだった。

楽園と地獄

コケの森は、この世の楽園のように思えるが、実は、危険も少なくない。阿寒湖周辺エリアのなかでも、特にヒグマの出没頻度が高いエリアなのだ。

一昨年の秋のことだった。コウバイタケの群落があったので、腹ばいになって夢中で撮影していた。すぐ上の方で枝の折れた音がするので、シカの仕業だと思って(ヒグマは歩く時足音がしない)、うるさい!と怒鳴ったら、ぼくを見下ろしていた若いヒグマと目が合った。立ち上がって手を伸ばしたら届く距離だ。それまでも何回となくヒグマと遭遇しているが、これには肝を冷やした。幸いヒグマの方が慌てて逃げていったので大事には至らなかった。考えてみれば、腹ばいになっていたら、ヒグマ対策の鈴が鳴るわけがない……。

ちなみに、ヒグマは雑食なので、きのこも食べる。

ヒグマ対策に決定打はない。ぼくは、今では、アイヌ式とでも言うか、森へ入ったら数分置きに「ホウ、ホウ、ホウ」と叫び声を上げている。こちらの存在をヒグマに教えるためだ。阿寒湖周辺にいるヒグマは、基本的に人馴れしていないので、人間が怖いのだ。一般的に、ヒグマ対策として推奨されるのは、出没情報収集(出没場所にはしばらく近づかない)、複数での行動、鈴やラジオなど鳴り物の遂行だ。ヒグマに出合わないようにすることが第一だが、遭遇した時のためのクマ撃退スプレーも必携である。

ヒグマのように大きな野生動物がたくさん生息しているということは、それだけ豊かな自然があるという証拠である。いつまでもヒグマが暮らせる豊かな森であってほしいと切に願う。

4枚または6枚の葉を持つゴゼンタチバナとドクベニタケ

新井 文彦〈あらい ふみひこ〉

1965年群馬県生まれ。きのこ写真家。北海道の阿寒湖周辺、東北地方の白神山地や八甲田山の周辺などで、きのこや粘菌(変形菌)など、いわゆる隠花植物の撮影をしている。著書に『きのこの話』『きのこのき』『粘菌生活のススメ』、『森のきのこ、きのこの森』『もりの ほうせき ねんきん』など。書籍、雑誌、WEBなどにも写真提供多数。

きのこには、食べると中毒事故を引き起こすものもあります。実際に食べられるかどうか判断する場合には、必ず専門家にご相談ください。

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