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[vol.12] 視る

三洋化成ニュース No.549

[vol.12] 視る

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2025.10.14

楠木 建

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センスに基づくリーダーシップはどのように身につけるか

リーダーとは決断する人・決断できる人です。意思決定力の根本にあるのはスキルではなくセンスです。

だとすれば、どうすればリーダーシップを身につけることができるのか。スキルではないから、教科書はありません。優れたリーダーになるための定型的な方法論や一般法則は存在しない。こういってしまうと、元も子もないというか、打つ手なしということで、滝に打たれて瞑想すべし、とかいう精神世界に一挙にジャンプしがちです。

しかし、そこまでいく必要はありません。一見、迂遠に聞こえますが、リーダーシップを身につける近道は、優れたリーダーを「視る」ことに尽きる、と僕は思っています。

「かっこいい人」がすぐにそれとわかるように、優れたリーダーは簡単に見分けがつくものです。ああこの人にはリーダーシップがあるな、と自然と思わせる人なら誰でもいい。まずはじっくりと観察することから始めましょう。

 

「視る」トレーニングを重ねスタイルを見破る

センスを基盤とするリーダーシップは「スタイル」と言ってもよいでしょう。日常の一挙手一投足にその人のスタイルがにじみ出ているはず。会議での議論の進め方やその人の交渉の仕方、部下への指示の出し方はもちろん、ちょっとした電話のかけ方、メモの取り方、デスク周りの整理の仕方、さらには食事の仕方、歩き方、笑い方に至るまで、観察可能なあらゆる現象にその人のスタイルが表れています。それを「視る」。ただ漫然と眺めるのではなくて、その人のスタイルを見つめ、見つめ続け、そして見破る(あまり見つめているとあらぬ疑いをかけられるので、この辺は要注意)。日常的に観察可能な断片を凝視しているうちに、一つひとつの断片のつながりが見えてきます。ここまでくれば、しめたもの。その向こうに、総体としてのスタイルが、徐々にではあるけれども、浮かび上がってきます。

そうして見破ったその人のスタイルが、自分に向いてない、あまり好きになれないものであったとしても、それはそれで構いません。一貫したスタイルを持つとはどういうことか、なぜ一貫したスタイルが人をリードしていくために不可欠なのか、こうしたことをまずは理解することが大切です。自分が漠然と考える理想のスタイルと違っていたとしても、逆にそのことが自分の志向するスタイルが何であって、何ではないのかをはっきりとさせてくれるでしょう。このような「視る」トレーニングを日常的に重ねているうちに、だんだんと自分のスタイルができあがり、熟成されてくるものです。

 

「視る」経験が、成長と次世代のリーダーを生み出す

リーダーシップがスキルではないとすれば、リーダーシップの「研修」をするというのは、本来的に言って無理があります。実際の仕事の場で、「見て見破る」経験を意識的に重ねていく。これがリーダーシップ養成の本筋です。ですから、優れたリーダーがいる組織には好循環が生まれます。数多くの多様なスタイルを見つめる機会が豊かにある組織ほど、次世代のリーダーも育ちやすい。逆に、ピリッとしたリーダーがいない組織では、そもそも視る対象に事欠くわけで、リーダーが育つ確率も小さくなってしまいます。こうなると悪循環に陥ります。強い組織はより強くなり、弱い組織はますます弱くなる――こうした傾向の背後には好循環と悪循環のメカニズムがありそうです。

もちろん、マネジメント層が意図的にできることも多々あります。例えば、「メンター制度」などは、「視る」トレーニングを促進する仕組みとして有効であるかもしれません(ただし、この場合、きちんとしたスタイルを持っている人だけをメンターにする必要があります)。メンターに学ぶ人々が「見て見破る」経験をお互いに共有したり、自分のスタイルを内省して他者に説明したりすることによって、より一貫したスタイルを構築するために有用な機会を提供できるかもしれません。

いずれにせよ、「スキル」の教育に比べて、こうした取り組みは手薄なのが現状です。どのようなことができるか、考えてみる価値はあると思います。

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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