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[最終回]石垣島を目指して 海のグレートジャーニー(3)

三洋化成ニュースNo.550

[最終回]石垣島を目指して 海のグレートジャーニー(3)

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2026.01.16

文・写真=探検家 関野吉晴

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ゴールした時のメンバー全員の記念写真

台風や黒潮を乗り越え ルソン海峡を横断

▶2009年8月~2011年6月
ルソン海峡、台湾・成功港、西表島 など

全行程で最大の難関、ルソン海峡およそ400kmを渡らなければならない。ルソン島と台湾の間のこの海峡は台風銀座といわれるように、台風が頻繁に通る場所だ。多くの海の専門家や研究者から、6月中に海峡を渡るようにアドバイスされていた。5、6月はまだ比較的台風は少ないが、7月になると頻発するうえに大型化する。複数の台風が同時期に活動することもある。台風がなくても、南シナ海と太平洋がぶつかる所で、なおかつ黒潮の流れは川の奔流ほんりゅうのようで、風もうねりも波も高い。

ルソン島の北端は断崖絶壁だ。反対側の大海原は海面が果てしなく続いている。これから私たちの渡ろうとしているルソン海峡は、南シナ海と太平洋に挟まれた難所だ。黒潮が激流のように北上し、南シナ海と太平洋を行き来する海流が潮の流れを複雑にしている。

ルソン島の北にあるバブヤン島とバタン諸島の間の88kmに手間取った。出港時、帆を揚げる時に帆桁を折ってしまった。アクシデントが起こった時にどのように対処するかが大事だ。すぐに用意してあった2mほどの木を当てて、ロープで縛った。骨折の治療と同じ要領だ。

梅雨前線がフィリピンまで南下していて、一晩中どんよりと曇って雷も光っていた。方角の目印となる月や星は見えず、波の向きだけが頼りだ。30時間以上かかって、目的地バタン諸島が見えたが、10kmも西にそれてしまった。

台湾とフィリピンの離島の間にある島々はバタン諸島といわれ、一つの州をつくっている。フィリピンでも最も治安が良い所とされている。台風2号が巨大化してこちらに向かっていた。台風に備えてバタン諸島にあるこの辺りで唯一の避難港マハタオ港に向かった。台風2号は中心気圧940ヘクトパスカル、最大瞬間風速60m/sという大型台風になり、通り過ぎるまで待機することにした。このために1週間の停滞を余儀なくされた。直撃されたら、ひとたまりもないと思っていたが、暴風圏の端をかすめただけだったので、ほとんど被害はなかった。しかし、一晩で縄文号はバケツ10杯、パクール号は16杯の水がたまっていた。いつもの3倍だ。雨量が多かったことを物語っている。バスコ港では、大型船が座礁していた。

荒波を受けながら星を頼りに石垣島を目指す

降るような星空。マストの真上に南十字星が見える

台湾の成功港から次の目的地の西表いりおもて島最西部まで直線で約280kmある。方角は北が0度だとすると、東に60度になる。私たちのカヌーは黒潮によって北に流されるので、真東に向かっていけば目的地に着く。そのように計算した。

東に向かうということは、風速10m/s以上の強い南風が起こす、3mを超える波を真横に受けて進むことになる。南風が吹き続け、波の方向も変わらない。船は常に南風を受けているので、船体も常に左側に大きく傾いていた。風が強い時に問題になるのはマストだ。帆にかかる風圧によってマストが倒れることがある。もしマストが倒れると悲惨だ。船底まで伸びているマストの基部が船腹を破壊して浸水し、沈没するだろう。それを避けるために、マストにロープをかけて、倒れそうな方向と反対側にクルーが引っ張り続けた。

日が沈むと、星が出てきた。既に月が高く昇っていた。明るいが、人工的な光がないので、星の数と明るさに目を見張る。降ってくるのではないかと思うほどだ。快晴だったので、ナビゲーションは容易だった。東京では見られないことだが、北極星と南十字星が、どちらも水平線近くに見えた。私たちは東へ向かうので、左手に北極星を、右手に南十字星を見ながら進めばいい。

月の昇った方角と南十字星の間にさそり座が見えた。その中のアンタレスは火星や金星のようにまばゆく光っている。太古の人たちもこれらの星を、自分の位置を確認するために使ったはずだ。南十字星はインドネシアにいた時は高い所に見えた。今は水平線に近い。私たちがはるばると、かなり北に移動してきたことがわかる。

成功港を出発した、この日の夕方には、既に台湾領から日本領に入っていた。荒れる海を、縄文号はバウンドしながら進んだ。アウトリガーの前方がせり上がり、反動でドーンと海をたたきつけるように落ちる。まるでしなやかに力強く泳ぐ、競泳のバタフライの選手のようだ。アウトリガーが外れないかと心配だが、縄文号のアウトリガーは4000km以上航海してきて、一度も外れたことがない。船体には鉄釘を使っていない。木釘、ほぞとダマル(天然樹脂)で固定している。アウトリガーは籐(ラタン)で縛っている。そのためカヌー自体に柔軟性があるのだ。常にきしみ、たわんでいる。だからこそしなやかで、壊れることはない。いつ壊れるかとハラハラしていたが、しぶとく健気に走っている姿がいとおしい。

左:傷んだアウトリガーを修復。陸に上げて籐を使って固定する。籐は水につかると締まる、便利な素材だ
右:島に上陸する際は、船を沖に停泊させ小さなボートで向かう

しぶきを上げて進むアウトリガーの周囲には無数の夜光虫が騒ぎ出し、光っている。星と違って緑がかっている。一つひとつは踊るように輝いてすぐに消失する。無尽蔵に湧いては後方に天の川のように流れて、消えていく。空と海の光の競演を堪能しながら、何とか睡魔をこらえた。

朝方、思ったより早く島が見えた。蜃気楼しんきろうのような小さな島だった。どこの島だろうか。八重山諸島の一番南の島といえば、波照間はてるま島だ。だとするとしめたものだ。自分の位置がおおよそ確認できる。今後は島影を頼りに、自信を持って方向を指示できる。もし与那国よなぐに島だとすると、思い切り方向を転換しなければならない。

心配していた台風3号は勢力を落とし熱帯低気圧になって北上していた。その台風が神風となった。結局2日間で300km近く航海することができた。ここまで来ればナビゲーションに関しても心配いらない。ゴールの石垣島までは島影を見ながらの航海になる。

家族のようなクルーといとしい船でゴール

ゴールの石垣島が見えてきた

その日の夜遅く、西表島の北端宇那利崎うなりざき投錨とうびょうした。翌朝5時に東に向かった。相変わらず強い南風が吹いていた。ゴールは南寄りなので北に押されてしまい、石垣島の西部に押し流されてしまった。

大きな事故はなかったものの、カヌーの故障は頻発した。エンジンも載せていない、いとしいボロ船だ。壊れないかと、いつもハラハラしながらの航海だったが、自分たちで作ったカヌーなので、自分たちで補修できた。

クルーは宗教も文化も言葉も違う10人だ。異文化共生の実験場のような航海だった。人的トラブルも多発した。しかし3年間も一緒に過ごしたメンバーは、最後は家族のような仲になった。

石垣島に着いた時には大きな達成感があった。海のグレートジャーニーは成功裏に幕を閉じた。

 

関野 吉晴〈せきの よしはる〉

1949年東京生まれ。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千kmの行程を遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。南米最先端ナバリーノ島を出発し、10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」は2003年にシベリア、サハリン経由の北方ルートから始め、中国から朝鮮半島経由のルートを終え、最後に海上ルートは2011年に石垣島にゴールした。

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