MENU

[vol.13] 凛とした気高さ「ニホンカモシカ」

三洋化成ニュース No.502

[vol.13] 凛とした気高さ「ニホンカモシカ」

シェアする

2017.06.26

荒々しい岩肌の断崖に守られて

今年生まれた子どもを連れて歩く

青森県・下北半島の西端。海沿いには荒々しい岩肌の断崖が続き、幾重にも重なる山並みの奥地は、人を寄せ付けない深い自然に満たされ、落葉広葉樹と針葉樹の混合林が広がり、季節が変わるたびに、色とりどりの景観を見せてくれる。漁業や林業を営む人々が暮らす小さな町が点在するが、アクセスは一本の道しかなく、陸の孤島と呼べるほどだ。生活の場としては、大変な部分が多々あるだろう。しかしだからこそ豊かな自然が広がり、守られてきたともいえる。この地には、北限のサルとして世界的に有名なニホンザルとともに、海沿いから山にかけてをテリトリーとするニホンカモシカが生息している。

ニホンカモシカとの静かな追いかけっこ

海沿いの崖の際で食べ物を探している

ニホンカモシカはその昔、肉と毛皮目当てに乱獲され、絶滅寸前まで追い込まれた。そこで1934年に天然記念物として保護され、さらに1955年には特別天然記念物に指定されて、狩猟対象から外された生き物である。そのため、人が脅威となる体験が希薄なせいか、人間に対しての警戒心がそれほど強くはない。驚かさないようにゆっくりと動けば、かなり近寄ることが可能だ。カモシカはじっとこちらの様子をうかがい、ある程度の距離まで近づくと、すうっと離れていく。警戒心が薄いとはいえ、そこはやはり野生の動物である。こちらが近づいた分だけ、ゆっくりと離れていく。カモシカの撮影は、地道な追いかけっこのようなものだ。

とはいえ、カモシカがよくいる場所は急峻な地形が多く、そういった場所で追いかけるのは容易いものではない。藪の生い茂ったアップダウンのきつい急斜面をついていくのは、とても骨の折れる行動である。冬場であれば、カンジキを履かなければ身体が雪に埋まってしまう。反対に、夏場などは植物が生い茂り、座り込んで食べたものを反芻などしていたら、まるで見つけることができない。カモシカを追うには、春と秋がベストシーズンだ。

気品高い立ち姿と短い角

草を食む親子にそっと近づいていった

間近で見るカモシカの存在感は魅力的である。ふさふさとした灰褐色の冬毛は、顔回りの白や褐色の脚とともに、美しいグラデーションで彩られ、気品の高さすら感じさせるのだが、それに一役買っているのが短い角だ。カモシカの角は洞角と呼ばれ、毎年生え替わるシカなどと異なり、一生伸び続ける。その成長の速度は季節によって変わり、春から秋にかけては成長が速く、冬はほとんど停止する。そのため、角には輪状の跡が残り、その数を数えれば年齢がわかる。目の下にはよく発達した眼下腺があり、甘酸っぱい匂いの粘液を分泌する。テリトリーの中においてその液を、葉や木の枝、岩肌にこすりつけて縄張りを宣言する。基本的には単独で行動しているが、メスが当歳児を連れている場合や、秋の交尾期にはカップルで行動することもある。

子育てはメスだけが行い、オスは全く参加することはない。メスの出産は毎年のようになされるのだが、子どもの生存率は3割程度と低く、夏の暑さや冬の寒さによって死んでしまうケースが多いようだ。運良く成長できた子どもは1歳を過ぎると単独で行動するようになり、性成熟に達する2〜3歳頃までは、母親の縄張り内にとどまっている。オスの子どもはその後、縄張りを追い出されてしまう。メスの場合は、出ていくこともあるが、母親の縄張りを受け継ぐこともある。

カモシカとの共存を目指して

カモシカの個体数は増加しており、それによる食害も取り沙汰されてきた。植林したスギやヒノキの幼木を食べてしまったり、農作物を荒らしたりといったことだ。しかしそれは全国的に見てみれば、ニホンジカなどの食害に比べると微々たるものである。だが地域によっては深刻な状況もあるようで、県によっては個体数管理のために捕獲することもある。

やみくもに捕獲するということではなく、その地域の生息数の維持と自然環境を損なわないことを念頭に、しっかりと計画を立てて定期的なモニタリングをし、管理に取り組んでいる。1999年の鳥獣保護法の改正に伴い、国の一括管理から地方自治体にその主権を移譲され、カモシカとの共存に向けて、これから新たなステージへと向かうことになる。

心通わせる特別な出会い

野生動物と関わっていく日常のなかで、僕が最も好きなのが出会いの瞬間である。これまでさまざまな動物たちとの出会いを経験してきたが、そのなかでもカモシカには特別な感情を抱く。

大きな理由があるわけではないのだが、森の中でひっそりとたたずみ、落ち着いた所作で、凛とした気高さを感じさせるカモシカとばったり出会う瞬間は、いつも感動的なものだ。長い時間をかけて対峙し、無言のコミュニケーションを図る。写真家としてもそうだが、それ以上に同じ地球上の生き物として、自然な振る舞いができるかどうか試されている気もする。カモシカの気分を読み取り、脅威とならぬように呼吸を合わせ、最後にカモシカが自分のそばに座り込んで休んだなら、全てが順調に進んだ証であり、大きな喜びを感じてその場を離れる。

冷え込む晩秋、美しい冬毛に生え替わる

 

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

関連記事Related Article

PAGE TOP