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[vol.15] 自然の中で生きる在来馬「御崎馬」

三洋化成ニュース No.504

[vol.15] 自然の中で生きる在来馬「御崎馬」

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2017.10.07

武士を乗せて駆けた馬の子孫たち

斜面の下から撮影する僕を見に集まる

丸いおわんのような丘がいくつも連なり、南からの黒潮が断崖に打ち寄せる宮崎県の都井岬。一年を通じて湿潤で温暖な気候である。見晴らしも素晴らしく、360度ぐるりと見渡せ、地球の丸みを感じることができる。ここには御崎馬と呼ばれる馬が生きている。

雪が降らず、草の絶えない放牧に適したこの地に江戸時代から放たれ、日本古来の血をつないでいる在来馬だ。日本の在来馬の祖先は、モウコノウマといわれている。モンゴル高原から中国、朝鮮半島を経て渡ってきた馬は、武士が乗るための馬として育てられた。その子孫である御崎馬の体は、脚は細めだが、環境に合わせて強くしなやかに発達している。人間なら息が切れるほどの都井岬の急斜面を、タテガミをなびかせ、ものともせずに駆け巡っている。毛色は馬によってわずかに異なる。茶褐色の鹿毛、黒みがかった黒鹿毛、淡い黄褐色や亜麻色の河原毛が多い。首から背中にかけてのラインが水平で、背筋に浮かぶ色の濃い線は鰻線と呼ばれ、御崎馬がモウコノウマを祖先に持つ古い種である証拠だ。

生き生きと走り母に甘える子馬

今日も一日、丘を移動しながら草を食む

早春の丘の上に、昨日生まれたばかりの子馬の姿があった。穏やかな日差しの中、母馬と一緒で安心し切ったようにまどろんでいる。親子は片時も離れず、生まれた喜びを全身で表すように、子馬は母馬にまとわりついて甘えている。初めて子を産む牝馬は出産の3週間くらい前から岬に仕切られた出産場所に連れて行かれ、出産後、2、3週間ほどしてから群れへ返される。一年中野放しにされているような御崎馬だが、その暮らしは多くの人々に支えられているのだ。日本には純粋な野生馬はいないので、御崎馬は半野生馬といったところだろう。春から夏にかけて、15〜20頭前後の子馬が生まれ、ほぼ同じ数の馬が病気や老衰で死んでいくので、馬はおおよそ120頭ほどに保たれている。

生まれたばかりなのに、子馬はすぐに丘の上を走り回る。おぼつかない足取りだが、走ることが楽しくて仕方がないようだ。でもすぐに疲れて横になり、満ち足りた表情で昼寝を始めてしまう。子馬は一日のうちに何度も昼寝をし、長い時には1時間くらい眠る。母馬は、眠る子馬をじっと見守る時もあれば、草を食べるのに夢中で、子馬から離れてしまう時もある。目覚めた子馬は、姿の見えない母馬を探して不安そうにいななき、その声を耳にした母馬は、すぐに子馬のもとへ駆け寄り、慈しむように鼻先でなでてやる。

僕が馬に引かれるのは、生き物としてのユニークさもあるが、一番印象的なのはその瞳の優しさだ。馬ほど優しい瞳を持った動物をほかには知らない。発情期のオスはかなり荒々しいが、その他の季節や、メスや子馬は、穏やかな優しさに満ちていて、そばにいるだけで気持ちが和む。

一面の緑の丘で熱心に芝を食む

子馬が眠るそばを母馬は離れない

夏を迎え、照り付ける太陽の光が勢いを増し、気温はグングンと上昇する。この丘では、1月末から2月初旬に、冬の芝や馬の食べない草を焼いてダニなどの害虫を駆除し、新しい芝の発芽を促すため、野焼きが行われる。その効果は初夏になると見事に表れ、冬枯れていた芝は活気付き、岬は一面の緑に覆われる。

草いきれの中、急な斜面を一歩登るたび、額からぽたぽたと汗が落ちてくる。頂上まで登ってみると、父馬、母馬、子馬の3頭が並んで立っていた。子馬もだいぶ成長したようだ。青々とした芝は相当おいしいらしい。ザッ、ザッという気持ちのよい音を響かせ、夢中になって前歯の切歯で芝をむしり取り、ざくざくもぐもぐとあごを動かし続ける。あまりに熱心なその姿は、自分も一緒に芝を食べてみたくなるほどだ。海岸から丘の頂上まで標高差のある広い岬を、馬たちは少しずつ移動しながら、一日中食べては休み、休んでは食べ続ける。

群れの中でも存在感が出てきた春生まれの子馬。この険しい丘ですくすくと育ち、生まれて半年経った今では、体付きもしっかりとしてきた。母馬から離れて行動することも多くなったが、まだまだ母馬に頼って生きている。子馬が独り立ちするのは、1歳から2歳になってからだ。

人の手で守られ暮らす半野生馬

急峻な地形を物ともしない強靭な足腰

タテガミをなびかせ丘を駆け巡る

初夏には年に一度だけ、人々の手で囲いの中に追い込む馬追いが行われる。1歳馬に管理のための焼き印を押したり、寄生虫を駆除する薬を与えたりするのだ。戦後から昭和40年代初めにかけて数を減らし、絶滅が危ぶまれた御崎馬だったが、投薬によって健康状態は良くなり、子馬が死亡するケースも少なくなって、頭数増加につながった。

大正時代の初めに一度だけ、外国の血を引く北海道産の馬「小松号」が、種馬として入れられた。それからというもの、御崎馬には見られなかった栗毛や、額に星と呼ばれる白斑を持つ馬が出るようになった。近年では、在来馬としての純血度を守る取り組みが行われ、馬追いでは、毛根や血液を採ってDNA鑑定を行い親子関係を調べ、家系図を作っている。

多くの人の手によって生き延びている御崎馬の暮らしは、のんびりとしてとても穏やかだ。しかし、都井岬一帯は、桜島や霧島山系などの火山群を有する火の国であり、噴火による火山灰の影響を大きく受ける。それに近年には、馬伝染性貧血ウイルスに感染した馬も現れた。御崎馬に絶滅の心配が尽きることは今もない。

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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