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コミュニティデザインとは、コミュニティと向き合いながら人生をデザインすること

三洋化成ニュース No.532

コミュニティデザインとは、コミュニティと向き合いながら人生をデザインすること

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2022.05.23

コミュニティデザイナー 
山﨑 亮  〈やまざき りょう〉
Ryo Yamazaki
1973年愛知県生まれ。大阪府立大学農学部(緑地計画工学専攻)在学中、阪神淡路大震災の被災地調査に取り組んだ際、公園に集まって励まし合いながら今後について話し合う地域住民たちの強さに感銘を受けつつ、「こうなる前に考えることができなかったのか?」「そのための仕事はないのか?」と考えたことが、後にコミュニティデザインを志す原点に。1999年に大阪府立大学大学院(地域生態工学専攻)修了後、SEN環境計画室勤務。2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトが多い。博士(工学)。技術士(建設部門)。社会福祉士。現在は、株式会社studio-L代表取締役、2021年4月より関西学院大学建築学部教授。
写真=本間伸彦

 

新しい公共物の建築や町起こしの際に、関係者が集うワークショップを開催して、ありたい姿を引き出すコミュニティデザイナーという仕事があるのをご存じですか。福祉、防災、環境、教育などの分野においても、対話を通して人と人とがつながる仕組みを構築することで、課題解決の道筋をつくっていく手法が受け入れられています。

今回は、コミュニティデザインの第一人者である山﨑亮さんに、人同士がスムーズにつながるためのヒント、多発する災害や高齢化といった身近に迫る日本社会の課題を見据えたコミュニティづくりの重要性などを伺いました。

震災現場で気付いたコミュニティの重要性

-- 人同士がつながる仕組みをつくることの重要性に気付かれたきっかけは阪神淡路大震災でのご経験からとのことですが。

阪神淡路大震災が起きたのは都市計画や緑地計画を学んでいた大学3年生の時でした。震災発生3日後ぐらいに都市計画事務所から研究室へボランティアの要請があり、被災状況を調べて白地図に色を塗っていく作業をしたんです。電車で行けるところまで行って、担当する地図の場所へ歩いて向かうなか、道路や建物が原形もわからないくらい粉々になっているのを目の当たりにしました。建築家がつくった建築物に人が住んで、密集して都市を形成する。その建築物が倒れて人を殺しているというのはどういうことだろうという疑問に答えが出せませんでした。

被災地をずっと歩いていくと心が沈んでいったのですが、調査の途中で河川敷に行くと被災された方がたくさん集まってきていて励まし合っていたり、意外と笑顔で明るく振る舞おうとされていたりして、妙な感じなのですが、ちょっと心が晴れたんです。その時、人が集まって死んでしまった建築の責任のようなものと、人が集まってつながると良い雰囲気にもなるなという両方を、自分のなかで感じていました。当時21歳と若かったこともあり、その後も悩みに悩んで、社会に出られる自信がつかず、大学院でさらに勉強しないといけないなと思ったんです。

-- 今まで目指そうとしていたことが違うのかもしれないという迷いになっていたのですね。

そうなんです。大学ではランドスケープという公園・道路など公共空間の整備を中心に学んでいたのですが、震災の経験から、絶対に倒れない建築を設計するのか、それとも、人がつながってワイワイと何か楽しそうにするという状態を日常的にもつくるという仕事をするのか、やるべきことは二つしかないなと感じました。ただ、当時は人のつながりをつくる仕事をするためにはどこに就職すればよいのか全くわからなかった。それで、まずは倒れない建物を作るほうの建築設計事務所に拾っていただきました。

幸運だったのは、その事務所がたくさんの公共施設を設計していて、上司は「公共施設は徹底的に地域の方の意見を聞きながら設計しなければ誠実さに欠けるだろう」という考え方だったのです。その人のもとでワークショップをしました。100人の意見を聞くために、5人ずつぐらいの小グループになって意見をまとめてもらい、その意見をさらに全体で議論していくものでした。この作業を何度も繰り返して設計に反映させていきました。

-- かなり時間をかけて、ていねいに進めるんですね。

時間も労力もかかるんですが、数年経つと、参加者のなかにつながりができていることに気付きました。ワークショップは2〜3年かけて行うこともあり、意見を交わす過程で仲が深まり、一緒に同じ趣味の活動を始める方や会社を興す方、さらには結婚する方まで現れて。この勤務先での6年間で震災の時に考えていた、人がつながる仕組みをつくる仕事の糸口が見つかった気がしました。

この手法を設計以外のところでも活用して、いつも人々が集まり一緒に話し合ってチームをつくって活動をするということを仕事にできないかと考え、2005年に事務所studio-Lを立ち上げました。

-- その事務所ではもう設計はされずに。

いいえ、最初は設計からでした。役所から人と人とをつなげてくださいという発注はなかなかないんですよね(笑)。小さな公園など小規模な公共施設の設計をしてほしいと頼まれて、われわれはいつもワークショップをしますがいいですかと確認して。初めは何だか面倒くさい人に頼んじゃったなという感じだったのですが、担当の方に見てもらっている間にだんだん、このやり方がいいのかもしれないって言っていただけるようになっていきました。

 

コミュニティデザインの対象は建造物だけではない

-- 発注者は市町村だとしても、ユーザーは市民なわけです。ただ市町村や市民の要望を聞いてまとめるだけじゃなくて、ワークショップを通して市民の声がしっかり生かされた公共施設をつくる。しかも、市民の方々のなかに、その施設を使い育てていく立場になるという意識まで醸成するのですよね。どのように進めるのですか。

例えば、公園をつくるとして、参加者の方へは「これからあなたはこの町でどう生きていきたいですか」というぐらいの問いから投げかけないとだめなんです。そして「その日々の生活で公園をどう使おうと思っているのか」と問う。「この公園を使えるのは何曜日か」「将来お子さんは何人ぐらい予定されているか」「高齢になったら、公園をどう使いたいか」といった身近な未来を考えてもらいます。さらには「人工知能が人類の知能を超える転換点はいつ来るか」「人工知能が発達して余暇時間が増えた未来には公園をどう使うか」というように、テクノロジーや生活の変化などについての未来予測を集団で学び合うと、つながりができるのはもちろん、リアリティをもって未来を語ることができるようになります。

-- 公園をつくることが目的ではなく、それを通して地域の皆さんが人生まで考えることが大切なんですね。そのワークショップに参加してみたいです(笑)。

そう言ってくれる方と、こんなに勉強させられるとは思わなかったって言う方と両方おられますよ(笑)。ワークショップを通じて、主体的に考え、行動することの意義を知ってもらいたいんです。学びに学んで人生のなかで公園を位置付けておくと、公共施設の完成がゴールじゃなくて、自分たちの未来設計に基づいてこの公園を育てていくプロジェクトがようやくスタートするという感じになります。コミュニティデザインとは、コミュニティに所属する地域の人と一緒に、暮らす場所の未来を思い描き、実現することなんじゃないかと考えています。言い換えればコミュニティと対話しながら人生をデザインしているのかもしれません。

-- 地域の方々との対話がいかに重要かということですね。ワークショップを行う際、初めて会う方が多いと思いますが、話し合いのルールなどはあるのでしょうか。

一番は相手の意見を否定しないで受け止めること。そのうえで、自分と異なる意見に対しては「どうしてそう考えるのか」という背景にまで興味を持ってもらうようにしています。大げさに言うと、意見を否定することは相手の人間性や世界観まで否定していることになります。そうではなく「私はこう見ているからこう思うんだけど、あなたはどう?」と、お互いの背景にある世界観を探り合うことが大切です。自分とは違うからと否定してしまった時点で相手とのつながりは切れてしまいます。

-- 相手の意見を否定しないということは、意識していても難しいですよね。否定しないためにされている工夫などはありますか。

話し合いを始める前に参加者全員で「イエス、アンド」というアイスブレイクゲームを行い、否定しないことの大切さを体感してもらっています。具体的には、二人一組になって何でもいいのでAさんがBさんを誘ってみる。それをBさんはあらゆる理由を使って断ります。これを5分ぐらい続けると、お互い嫌になってきます。そこで今度はBさんが誘いに乗り、さらに「こうしましょうよ」と提案を出してみる。提案って意外と頭を使うんですが、慣れるとすんなりできるようになってきて。そうすると、お互い気持ちよくなってどんどん話が発展して、思いがけないアイデアまで出てきたりするんです。

-- 企業の新人研修でも、やってみると良さそうですね。ここで改めてコミュニティデザインについて教えてください。

前提からお話しすると、コミュニティデザインは第1世代、第2世代を経て第3世代まで発展しています。第1世代は1960年代にアメリカの住宅開発の土地に合わせてつくる(デザインする)こと。これが80年代に入り、ただつくるだけではなく、実際に使う立場となる地域住民の意見を採り入れるべきじゃないかということになりました。これがいわゆる第2世代にあたり、僕が勤めていた建築設計事務所でもこの手法を引き継いでいました。

第3世代は少し特殊でアメリカではなく日本独自の動きです。人口減少により公共施設をつくることが極端に少なくなった日本で、地域住民の意見を採り入れる手法を物理的空間建築の分野だけでなく、他の分野にも応用していこうと。コミュニティデザイナーがさまざまな分野に入り込むことで、人々の不安や悩みを拾って解決に導くことができます。もちろん今でも住宅開発などはしていますから、第1世代や第2世代も引き続き行われながら、第3世代が広がりを見せています。

-- 現在はどういった分野に広がっているのですか。

社会福祉や防災、教育などの分野です。医療福祉や厚生労働関係の分野では、自分がどんな役割をすればいいのかわからないし、学ぶにしても一人じゃ学べないと思っている人が多いですよね。国民皆保険の予算はいつまでもつのか、年金という長生き保険は一体どういう仕組みになっているのかといったことを、ワークショップだとみんなで学ぶことができるんです。

われわれの活動のプロセスを写真に撮ってブログで発信していると、ちょっと面白いことをしている人たちがいると認知されるようになって、いろいろな方面から声をかけていただけるようになったんです。空間の設計にまつわらないコミュニティデザインは、発注してくれる方がその活動の有効性を教えてくれたと感じています。

 

地域のつながりをつくるプロジェクト
コープこうべ こえるプロジェクト「住吉足ゆ塾」にて(2016年10月)

 

地域の縁を育てるかお金でつながりを買うか

-- 防災の観点では、コミュニティデザインはどのように活用できるのでしょうか。

震災国で怖いのは、例えば、地震が起きた時にその町にだれが住んでいるのかを把握できておらず、安否確認ができないことが挙げられます。これが地域住民同士のつながり、いわゆる地縁型コミュニティがあるところだと、「あの人いないから見に行ってみよう」と、災害時に助け合えます。日本は災害が多い国だからこそ、こうした町ぐるみで生き残っていく術を見つけておくことは大事でしょうね。東日本大震災の被災地の取材をした時に、新しい町をつくるにしても、元いた町のつながりのなかで移動しないと嫌だって言う人たちがたくさんいました。これは東北だからかなと思ったんです。やっぱり東京だと、今のお隣さんじゃないと次の家に住みませんという人はたぶんいないと思うんです。

-- 人の結び付きが強い地域がある反面、都会は結び付きが弱くなっているという見方もありますね。

かつての日本には、若いうちは支える側で、そのうち自分が支えてもらえるようになるという循環がありました。それが相互監視みたいでうるさいと感じて、そこから抜けますとなると、自分が支えてほしい時にはお金を支払って支えてもらうことになっていきます。お金でつながりを買っているということを自覚して過ごす20年間って楽しいのかどうかですよね。人とのつながりがないほうがサバサバしていて楽だという考え方もあります。ただ、もっと先のことまで考えてみたら、年を取って自分で身の回りのことができなくなった時、また人とのつながりがなくて寂しくなった時、それまでなかったつながりをいきなりつくることは難しいと思います。

-- 暮らしていきたい地域の縁を大切にして、町を育て上げていくということにも積極的に関わっておかないと、高齢になってから急に助けてと言っても、誰も応えてくれないということですよね。

そうですね。孤独なお年寄りが増えていることを考慮して、秋田県で「年の差フレンズ」というプロジェクトを行ったことがあります。高齢者の方に20歳以上年下の友達をつくってもらうのですが、やはり年の差がある友達から刺激を受けるのか、高齢者の方々がすごく生き生きして見えたんですよ。高齢の方と若い人が日常を共有し、コミュニケーションがとれるようなコミュニティを、どうすればつくることができるか。これは引き続き、課題になると思います。

 

名護市役所職員を対象にした研修(2018年5月)
対話型のワークショップで、参加者はいきいきと
人同士のつながりを意識することができる

 

市民が共有すべき生活資本の扱い方へと広がる活動の場

-- 今後コミュニティデザインを通してやっていきたい領域や分野などはありますか。

教育や医療、水道、ガス、それから大気や河川といった社会的共通資本といわれる分野は、コミュニティデザインが最も貢献できる領域だと思っています。市民が共有すべき生活資本、つまり新自由主義的な経済原理で進めるとちょっとまずいことになる分野ですよね。例えば、水道を民間に移譲したら、水質が悪くなったり、値段がかなり高くなったりという懸念がある。そういうことをされたら困る領域について、それをどう取り扱うのかは地域の共通の問題なので、ワークショップをやる意味がある気がしています。

-- なるほど。それでは、次世代を育成していく教育の分野での展開はどのように。

教育現場では、先生が前に立って一方的に生徒に話をするというスタイルから、アクティブ・ラーニングのような対話型の授業に変えていきつつあります。学校の先生たちの対話力を高めるお手伝いを頼まれることもあるんですよ。

また、個人的には従来のテストの点数を上げていくということに過度に注力させていく教育のあり方を捉え直したいと思っています。テストの点数では測りようのない責任感や最後までやり抜く力といった能力をどう伸ばし、生かしていくかについて取り組みたい。こうした能力を鍛えていなかったら、地域でもうまくやっていけないし、仕事では人工知能に置き換えられてあぶれてしまうと予測されています。そっちではないことを重要視していた人たちが今こんなに幸せに生きていっていますよという事例を見せられるようなプロジェクトをつくることがコミュニティデザイナーとして自分がやるべきことなんじゃないかと。

-- コミュニティデザインの担い手の数も増えていきそうですが、コミュニティデザイナーを志す方にどのような役割を担ってほしいとお考えでしょうか。

コミュニティデザインは「そんなところにも使えるの?」というぐらい、さまざまな場所で活用できます。会社で会議のやり方を変えていくなど、身近にあるちょっとした決まりごとを柔軟に変えられるような存在になってほしいと思っています。そうして会社を、町を、コミュニティを変えていくきっかけになってくれればうれしいです。

これまで人の時間は、仕事である「稼ぎ」「務め」と、プライベートである「遊び」「休み」の4種類に定義されていました。コミュニティデザイン的なワークショップや地域づくりを通して友達をつくって馬の合う人たちと面白いことに没頭し、お金を増やす「稼ぎ」の部分にあくせくとせず、お金を使わない「遊び」を通して、地域の人たちに感謝されて「務め」を果たすという生き方もあるのではないでしょうか。今の時代を生きている若い人たちのなかにはそんな発想や感覚を持っている人の割合が増えつつあり、新しい生き方を見せてくれているという印象があります。

-- コミュニティデザインを通して、水道や教育などの社会的共通資本、「遊び」や「務め」などが再定義されれば、生き方の選択肢が広がりそうです。今よりももっとお互いを認め合い、人と人とのつながりが強くなるような社会がつくられていく可能性を感じました。本日は有意義なお話をありがとうございました。

 

と   き:2022年1月18日

と こ ろ:東京・日本橋の当社東京支社にて

 

 

 

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