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南極観測隊を支えた料理とユーモア

南極料理人 西村 淳

南極観測隊を支えた料理とユーモア

2018.09.07

写真=本間伸彦

南極料理人 西村 淳〈にしむら じゅん〉  Jun Nishimura

1952年北海道生まれ。舞鶴海上保安学校を卒業し、巡視船勤務の海上保安官となる。1989年第30次南極観測隊、1996年第38次南極観測隊ドームふじ基地越冬隊に参加後、巡視船〈みうら〉の教官兼主任主計士を務める。2009年海上保安庁を退職し、故郷の北海道に㈱オーロラキッチンを立ち上げ、料理講習会、イベントプロデュース、TV出演、講演など多方面で活動する。同年には著書『面白南極料理人』を原作とした映画『南極料理人』が全国で公開された。著書はほかに『面白南極料理人 笑う食卓』『身近なもので生き延びろ―知恵と工夫で大災害に勝つ』など。

 

 

 

二度の南極観測隊に、調理担当として参加した西村淳さん。なかでも二度目に滞在したドームふじ基地は、平均気温マイナス57℃、標高は3800㍍で酸素が薄く、冬はほとんど太陽が出ない過酷な環境です。食材の調達が不可能ななか、創意工夫で隊員の食事を作り続け、肉体的・精神的に隊を支えた西村さんに、南極生活での思い出や、発想の転換から生まれた数々のレシピ、食を通したコミュニケーションについて伺いました。   

マイナス80℃の世界で食を一手に引き受ける

-- 南極観測隊での西村さんの任務は、どんなことだったのですか。

調理隊員として、隊員たちの食事づくりを担当していました。第38次隊では、研究者のほか、ライフラインや機械を扱う設営メンバー、医者、記者などの9人だけで1年2カ月過ごしました。私は調理のほかにも、通信や雪上車の整備、燃料の運搬、観測気球打ち上げや氷のサンプリングといった研究サポートなどさまざまな業務を行いました。

-- どのようなきっかけで、南極観測隊に参加されることになったのですか。

海上保安庁の保安官として、海上保安業務や事務、調理リーダーを担当していた時に、当時の文部省から派遣要請を受けたんです。決まっていた人が行けなくなってしまって、僕に回ってきました。最初はあまり行きたくなかったんです(笑)。二度参加して、第30次隊では昭和基地で、第38次ではドームふじ基地という世界で一番寒い場所で越冬しました。僕がいた時の最低気温はマイナス79・8℃でした。

-- マイナス79・8℃なんて、想像がつきません。どんな感じなんですか。

吐く息は全部ドライアイスになって、顔にべったり付きます。ウイルスさえ生存できないので、食べ物は腐らず病気にもならないんですが、代わりに免疫力がほぼなくなって、日本に帰ってから何度も熱を出しました。また、行方不明になったら探しに行くことができず一発でアウトです。だからバディを組んで、相手のことを常に気をつけて見ていなければなりません。トイレの最中も、見張っていてもらうんですよ。

-- 一人ひとりの命を、お互いに守るという意識がなければ、とても生きていけない環境なのですね。

南極へ行って感じたのは、「自然に生かされているんだな」ということでした。人間が自然に勝てるわけがありません。この環境に1年以上いなければならないので、もう笑うしかないですよ(笑)。人間って慣れるもので、マイナス35℃と比較的暖かい日には、Tシャツで外に出て作業しましたね。

-- えーっ、本当ですか(笑)。調理はどうしていたのですか。

寒すぎるうえに標高が3800㍍で、空気が2割薄いので、水は82℃で沸騰します。人間の体は新陳代謝が活発になり、1日に6000㌔㌍摂取しないとどんどんやせてしまうんです。ですから、カロリーの高い食事を作るように気を付けていました。

-- 水はどうやって手に入れるのですか。

水は、当番の隊員が雪を採取して造水機で溶かして作ります。全員分の水が1日に30㍑ほどしかないので、調理や洗い物になるべく水を使わないよう工夫しました。ごみの処理も難しいので、余った煮物を味付けを変えて酢豚にするなど、食材を使い回してごみを減らしました。

-- 1年以上の間、食糧を調達できないのですよね。

現地調達できるものは水だけなので、それ以外は全部準備して持っていきました。肉や魚、卵、ケーキなど、全て冷凍で、合計で約11㌧ほどでした。キュウリなど水分の多い野菜は、凍らせると水分が出てしまうので冷凍された製品がなかったんですが、それを逆手にとって、キュウリを凍らせて持っていきました。表面だけ軽く水をかけて軟らかくして、切って酢をかければ、塩もみせずに手軽に酢の物ができるんですよ。

-- キュウリは冷凍してはいけないと思っていました。水が82℃で沸騰してしまうと、食材をゆでる時はどうするんでしょう。

麺類は油で揚げてから持っていき、圧力鍋でゆでると芯が残らず軟らかくなります。そばやスパゲティなど、いろいろな種類の冷凍食品を持っていきました。

 

南極のドームふじ基地。平均気温はマイナス57℃

知恵と工夫から生まれた数々のレシピ

-- 1年以上、ドームふじ基地の中で9人だけで暮らすとなると、食事が唯一の楽しみになりそうですね。

日本の食べ物が懐かしくなるんです。ある時、「目玉焼きが食べたい」とみんなが言うけれど、基地には黄身と白身が 攪拌(かくはん)された状態の冷凍卵しかない。「西村さんでもできないことがあるんですね」と言われて、コノヤローと思って、牛乳のゼリーと缶詰のモモをスライスしたもので、目玉焼きのようなものを作ってみました。するとみんな、目玉焼きだと喜んで、塩、コショウやしょうゆをかけてしまった。怒って1週間くらい口をきいてもらえませんでした(笑)。

-- いたずらが過ぎましたか(笑)。でも、攪拌してある卵では、オムレツはできても目玉焼きは作れませんもんね。

持っていけなかったものは代用して乗り切りました。ある時、ぬか漬けが食べたいと言われたんですが、ぬかみそなんて用意していない。すると、科学者たちがあれこれ考えて、パンにビールと塩、糖分を加えると元素レベルで似たようなものになると言うんです。やってみたら、ちゃんとぬか漬けができました。

-- 科学者って素晴らしい(笑)。食材の調達ができないから、何とか工夫して、あるもので作るしかないんですね。

食糧が切れたら、どうしようという不安もありましたが、笑いとごまかしで乗り切りました。第30次隊はみんなラーメンが好きで、一人2〜3杯食べるので麺がどんどんなくなるんです。ラーメンが切れたら死活問題だったので、この時も科学者に元素レベルで考えてもらった。お湯に重曹を入れてスパゲティをゆでたらラーメンの匂いがしてきて、ラーメンのスープに入れて出したら、誰も気づかなかったですよ。

-- 私は重曹を掃除に使っていますが、そんな使い方もあったとは。

誕生日を迎えたメンバーが「いなりずしが食べたい」と言うので、移動中で簡易調理台しかないなか、三ツ矢サイダーに酢と塩を加えてすし飯を炊いたことがありました。サイダーの糖分は、すし飯に入っている砂糖の割合に近いんです。また炭酸が米と米との間を離すので、米がピンと立っておいしく炊けます。ぜひご家庭でも、ご飯を炭酸水で炊いてみてください。

-- 本当ですか、やってみよう。微生物がいないということは、南極では食べ物が腐る心配はないんですね。

27年前の食パンと20年以上前のものと思われる練乳の缶詰を食べたことがありますよ。雪上車で移動中に立ち寄った、居住用の小屋に昔の食糧が保管されていたんです。練乳の缶詰はふたを開けてお湯に入れて沸騰させ、生キャラメルにして、どちらもおいしく食べました。

食卓を囲めば笑顔が生まれる

-- 南極で食べられなかったものは、あるのですか。

モヤシやカイワレ、レタスは栽培していますが、太陽の光がなかったせいか、大葉やトマトはうまく育たず、食べられませんでした。長ネギも冷凍のものはありますが、納豆に入れるのは、やっぱり抜きたてがいいですね。

-- どうしても太陽の光じゃないと、大きくならないものもあるんですね。

事件も起こりましたよ。隊員の一人がラーメンを作ったことがあるんですが、その中に干物を入れるつもりでクサヤを入れてしまった。ものすごい匂いがキッチン中に充満しましたね。

-- それは大変(笑)。というか、なぜクサヤを南極に持っていこうと思ったんですか(笑)。

そこから話が広がればと思って。何か仕掛けてやろうと、いつも考えていましたね。特に二度目の第38次隊では、いろいろいたずらもしました。そばを食べる時に、つゆを一人分だけコーヒーにするとかね。ほかのみんなが「おいしい」と言いながら食べているのを見て、一人だけ首をかしげていました(笑)。

-- ひどい(笑)。南極での任務は過酷だと思いますが、お話を聞いていると、毎日おいしいものを食べて、とても楽しそうです。

一度目の時は、みんなに何を食べさせようかと思っていましたが、二度目は肩の力が抜けて、みんなは何を食べたいのかなと考えるようになりました。外はずっと暗いことが多く、閉ざされた空間で9人だけで過ごしていると精神的につらくなる時期もあるので、越冬を楽しもうと意識していましたね。

-- 厳しい環境で、何があっても途中で帰れないですものね。食卓は隊の皆さんの精神的な支えだったのではないでしょうか。

どんなことがあっても、夜18時半には全員集まって、食事を取るということにしていました。メンバー9人は、それぞれ別々の観測活動や任務があり、魂が現場に飛んでいってしまっているような状態です。だから食事の時間は唯一、全員で集まって食べながら普通の会話をして、魂が降りてくる時間にしたいと思っていました。ありがたいことに、「まずくて食べられない」と言われたことは一度もなく、みんな「おいしい」と言って食べてくれました。雰囲気がピリピリしてきたら、酒を酌み交わして大騒ぎをすると決めていました。メンバー9人の命を預かった、とても濃密な日々でした。

 

南極観測隊の食事風景  

-- 長い越冬生活の中でのモチベーションは何でしたか。

家族の写真が心の支えでした。帰りを待っていてくれる人がいるというのは、大きいです。

-- 南極観測隊に限らず私たちにとっても、誰かと一緒に食事を取るのは大切ですね。子どもなどが一人で食事をする「孤食」が問題になっています。

その通りです。誰かと一緒に食べて会話をすることが、今の日本に少なくなっています。昔と違い、少ない子どもを大事に育てる時代で、親たちも栄養のあるものや安全なものを食べさせたいと気にしていますが、それだけで子どもが健全に育つわけではありません。おいしくて栄養価が高い食事を一人で食べるよりも、レトルト食品でも誰かと一緒に食べるほうがはるかにいい。話していると唾が出て、栄養も吸収されやすくなります。

-- 心の面だけではなく、栄養面でも誰かと一緒に食べるのがいいのですね。

今、日本で売られているものは、食べても問題ないものがほとんどです。食品の安全性にあまりこだわりすぎず、家族一緒に楽しく食べてほしいですね。

南極の氷に刻まれた人類の歴史

-- 南極観測から、どんなことがわかるのですか。

南極観測は、いわば地球の人間ドックで、地球の過去・現在・未来がわかるんです。重要な任務の一つに氷のサンプリングがあります。北極の氷は海水が凍ったものですが、南極の氷は、大陸の上にダイヤモンドダストが何万年もかけて、当時の気候下で降り積もり、圧縮されて凍ったもの。採取すると、例えば18世紀は産業革命の影響で空気にばい煙が入っていたことがわかります。この氷は世界中でさまざまな研究に使われます。ほかに、シロナガスクジラの生態から環境問題を調べ、地球の未来を予測している研究者もいます。

-- 人間の活動が、地球環境に大きな影響を与えているんですね。

南極で生活すると、人間がいかに環境を汚す動物かがわかります。1年のうち半分は極夜で真っ暗なはずなのに、日の出のように明るくなったことがありました。これは、観測隊の9人が生活したことで発生した不純物が、上空で凍りつき、太陽の光に反射したPSC(極成層圏雲)だったんです。

-- たった9人でそんなことが起こるんですね。観測隊に行って良かったと思われるのはどんなことですか。

普通は見ることのできない景色を見られたことと、普通の生活では会えない、いろいろな人に会えたこと。観測隊での仕事の仕方を身につけられたことも良かったですね。観測隊では何かオペレーションを起案した人がリーダーになり、立ったままで5分間のミーティングを行い、リーダーが全て指示を出してあとのメンバーは指示通りに動くんです。5分話して見通しが立たなければ、できないと見切りをつけます。

-- 時間をかけて会議をしている暇はないんですね。

もう一つ、人前で緊張することがなくなりましたね。トイレも見張っていてもらわないと、命が守れないような生活を経て、相手にいいところを見せようとする必要はないと思うようになりました。

-- 現代の人間が身につけてしまった、どうでもよいものがそぎ落とされていって、素に戻って帰ってこられたのかもしれないですね。

被災時に、おいしく食べるコツを伝えたい

-- 現在は、どのような活動をされているのですか。

「オーロラキッチン」という会社を立ち上げました。北海道にはおいしい食材がたくさんあるので、もっと北海道の生産者が儲けられるように、アイデアを出して付加価値を付け、生産者さんといろいろな人をつなぐ活動をしています。

-- 南極でのご経験で、災害時に役に立つものはありますか。

被災者が快適に過ごし、一日も早く復興するという視点で、赤十字看護大学で非常防災学の講師をしています。備蓄のために特別な非常食を用意するよりも、家の中に普段置いてある食品や、冷蔵庫・冷凍庫の中にある食品を、長持ちさせておいしく食べる工夫をするといいですよ。札幌で親子の料理教室を主催していますが、防災食の講座は皆さん気になるのか、大勢受講者が集まります。

-- 普段食べている食品を、いざという時にどんなふうに使えるか、考えながら買っておけばいいのですね。

例えば、かっぱえびせんにお湯を注げば、だしも取れて塩分も少ないお吸い物になります。ポテトチップスに牛乳を入れて沸かせば、きちんと味のついたクリームスープに。さきいかなどのおつまみも、ご飯と一緒に炊けばおいしい炊き込みご飯ができます。

-- 毎日の料理や、万一の備えに役立つ情報をたくさん教えていただいたので、家で実践してみたいと思います。本日はありがとうございました。

と き:2018年6月23日
ところ:東京・浜松町の日本ビジネスアート㈱東京本社にて

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